羽州街道ウォーク4日目 上山→千歳 | M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLで通常のM3型(多顆粒型)ではなく、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

22.05.02(月)
前日自宅を出て車で山形へ。山形駅前のビジホにチェックインした。
この日朝は、ビジホを出て電車でかみのやま温泉駅へ。

 

↓この日と翌日歩いたルートと写真→大きい地図で

 

8:35 ウォーク開始。かみのやま温泉駅からこの日のウォーク開始。矢来橋を渡って、桑折から10番目の旧宿場、上山宿の中心部に入り、上山城に立ち寄った。330年前の元禄5年に廃城となったそうで、現在の建物は再建されたもの。開館前だったせいもあり、中の見学はしなかった。
Y字路を左に入って上り坂になる地点にゼロキロポストがあった。市道の起点かな。県道51号と交叉するあたりに大日堂・番所跡があるとのことだったが、案内板等はなかった。見落としたのかな。鉄の角材で造られた鳥居があったので、そこが大日堂・番所跡かな。

9:40 花立峠の手前に「従是南上山領」と彫られた石碑があった。ここが上山藩と山形藩との藩境とのこと。すぐ先の花立峠に地蔵があった。
花立峠を越え、蔵王みはらしの丘公園から坂を下る途中は、開発の影響だろう、旧街道のルートがはっきりしなくなっている。ショッピングモールがあり、その真ん中あたりに、上山市と山形市の境の標識があった。

10:24 松原神明神社に立ち寄った。藤原優太郎著「羽州街道をゆく」には「黒沢神明社」と記載されているが、鳥居の前に旧羽州街道と茶屋跡の解説板があり、「松原神明神社」と表示されていた。
松原神明神社から坂を下り、県道の橋の下を通った先で、踏切を渡ったが、踏切の標識は蒸気機関車の図柄のものだった。フル規格新幹線ではないが、新幹線車両の通る踏切に、蒸気機関車の標識とはねえ。
踏切を渡った先が、旧羽州街道の間の宿、黒澤宿とのこと。10:50 黒澤一里塚跡の碑があった。
10:54 松原番所跡の碑の前を通過。旧羽州街道11番目の旧宿場、松原宿はこのあたりかな。江戸時代の初め頃に山形藩と上山藩が分離されたために新設された宿場だそうだ。急だったのか、山形から家屋を移設して本陣にしたそうだ。

11:25 須川の橋を渡った。最上川の支流で、山形城下の水路だったそうだ。現在の橋の上流側に、坂巻渡船場があったという。12:10 とんかつ店で昼食。かみのやま温泉駅から、19,545歩,12.5km。

12:40 昼食後、ウォーク再開。とんかつ店前のY字路を右へ。13:03 JR奥羽線の踏切を越えたら、下り線に標準軌と狭軌の三線の痕跡があった。山形新幹線開業からしばらくの間、この区間は三線だったことがあるらしい。その直後、桝形を通った。

13:35 トイレを借りにデパートに入ったら、「中央展出品選抜絵画展」が開催されていた。15分ほど鑑賞。その先、山形銀行本店のあたりに、旧羽州街道12番目の旧宿場、山形宿の本陣があったらしい。

 

旧山形県会議事堂

 

14:03 旧県会議事堂と文翔館に立ち寄った。明治期の建物である。14:40 鳥海月山両別宮に立ち寄った。名前からわかるように、鳥海山と月山、両方の別宮である。

15:10 JR羽前千歳駅に到着。ここでこの日のウォーク終了。昼食後は、14,651歩,9.3km。15:26 の電車に乗り、山形駅前のビジホに戻った。