おくのほそ道 越中宮崎→黒部 | M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLで通常のM3型(多顆粒型)ではなく、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

20.9.30(水)
魚津駅で 8:25 発、あいの風とやま鉄道の電車に乗り、泊駅へ。泊で、えちごトキめき鉄道日本海ひすいラインの気動車に乗り換え、越中宮崎へ。えちごトキめき鉄道の日本海ひすいラインと、あいの風とやま鉄道線の管理上の境は市振駅だが、運行系統は泊駅が境になっている。9:25 越中宮崎駅に到着。

新潟県側の糸魚川からここまで歩いたのは昨年11月4日だった。天下の険、親不知を一桁国道8号線が越える区間で、歩道のないカーブと勾配が連続する、覚悟の区間だった。危険な道を通るため気が張り詰めたせいか、体力だけでなく精神的にも疲れたことを覚えている。
出羽は18日で横断,越後は18日で縦断したが、越中はそこまでかからないだろう。6日ほどだろうか。しかし、芭蕉と曾良は滑川(曾良日記では滑河)と高岡に1泊ずつしただけで、たった3日で越中を縦断したそうだ。なんという速さだろ。

 

↓この日歩いたルートと写真リンク


9:30 越中宮崎からウォーク開始。昨年11月4日にこの駅まで歩いた時、次回ここから歩くのは年明け、つまり今年の3月頃かな。と思っていたのだが、11か月近く開いてしまった。これもコロナの影響だな。ほそ道のルートはこの駅の近くで国道8号から県道60号に移るが、これは国道8号の旧道だろう。駅西側の踏切近くに「299」と書かれたキロポストが立っていた。米原から北陸本線で 299km ということになる。
10:45 曾良日記「泊ニ到テ越中ノ名所少々覚者有」の泊を通過。越中の名所を教えてくれた人がいたという記述である。旅先で名所を教えてくれる人はたまにいるね。ありがたいこともあるが、鬱陶しいこともある。曾良日記での書き方からみて、この時はありがたかったのだろう。

金森敦子著『芭蕉「おくのほそ道」の旅』によると、泊の先は黒部川扇状地で、街道は下街道と上街道の2本あるそうだ。海岸側の「下街道」は扇端を通るので多数の川を渡らねばならず、水量が多いときの迂回路、脇往還として、扇頂、谷の出口付近を通る「上街道」があるとのこと。ここ泊からの県道13号がその上街道らしい。扇頂・谷の出口付近で愛本橋という橋を通るようだ。曾良日記にも「雨ツヾク時ハ山ノ方へ廻ベシ 橋有 壱リ半ノ廻リ坂有」とある。「壱リ半」1里半≒6kmで、現在の地図を見ると、下街道から愛本橋まで6kmほどで一致している。
金森氏はこの著書で、1里半ほど距離が長くなるような書き方をしているが、「壱リ半ノ廻リ坂」は、距離が1里半長くなるのではなく、1里半離れた山側を通る。という意味だろう。地図を見る限りではそう見える。またこの記述からは、芭蕉と曾良は扇端側の下街道を通ったと解釈するのが自然だろうな。
金森氏の著書でも、下街道を通ったと述べている。
私も下街道を歩くことにした。上街道、県道13号ではなく、そのまま県道60号を進んだ。上述のとおり、扇端の多数の川を橋で渡った。芭蕉の頃は徒渡りが多かっただろうな。

12:20 曾良日記「入善ニ至テ馬ナシ」の入善に到着。ここで昼食。iPodのウォークメータでは越中宮崎駅から 12.62km,16,838歩。
入善やその周辺は、チューリップで有名な場所である。富山の観光アピール写真には、チューリップがよく出る。北アルプス立山連峰が近くにあり、毎年ゴールデンウィークの頃は、背景の雪山と対比させて、カラフルなチューリップの写真を撮れる。私も現地でこの光景を見たことがあり、かなりどぎつい色だがカラフルである。ただ、観光用の写真に過度に惑わされちゃいけないよ。

13:10 昼食後、ウォーク再開。国道8号の旧道であろう下街道は、入善まで県道60号だったが、入善から県道117号となる。14:50 黒部大橋を渡った。曾良日記では「人雇テ荷ヲ持 黒部川ヲ越」で、川越し人足を雇ったようである。旧東海道を歩いたとき、島田市博物館に大井川の川越しの展示があった。あれと同じようなものだったろうな。渡ったあとは県道314号となる。

15:50 富山地方鉄道の東三日市駅に到着。この東三日市駅だが、「訪ねておきたい名駅舎 絶滅危惧駅舎」という本で紹介されているそうだ。私はこの本を読んだことがない。なにか特筆すべきことがあって取り上げられているのだろう。
泊で分れた下街道と上街道が合流するのがこの三日市とのこと。東三日市駅の先で踏切を渡った後、15:55 県道314号と、愛本橋からの県道14号との交差点に到着。この交差点がその合流地点だろう。
16:05 電鉄黒部駅に到着。ここでこの日のウォーク終了。入善から 13.23km,17,421歩。越中宮崎からは 25.85km,34,259歩。

富山地鉄の電鉄黒部駅は2回目。前回は1991年5月14日だった。信濃大町から立山黒部アルペンルートを通って富山に出た後、富山地鉄にここまで乗り、JR黒部駅へ行ってJRに乗り、糸魚川で大糸線に乗り換えて信濃大町の宿に戻った。
その途中、気になる会話を2つほど小耳にはさんでいた。
1.富山地鉄の乗客が車掌に「富山地鉄は大丈夫?」「大丈夫ですよ。」
2.大糸線南小谷駅で客と駅員が「何人になった?」「車両ではなく路線所有者のほうの責任になる。」
どうも鉄道事故が起きたらしいと感じながら、信濃大町の宿に戻ったところ、信楽高原鐵道事故のニュースを見た。あれから29年以上経つんだな。

富山地鉄の電車に乗った。おくのほそ道ウォークでJR,三セク以外の鉄道に乗るのは東武鉄道大桑駅以来となる。新魚津で降り、魚津のビジホに戻った。