梅雨入り前に引越し終了 | M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLのほとんどはM3型(多顆粒型)ですが、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

20.06.10(水)
朝、戸塚駅前のビジホを出てアパートに立ち寄った後、車のディーラへ。9:30 から車の車検。このディーラもこれが最後。横浜で車検を受けたので、横浜ナンバーのまま。車検が終わった後、アパートへ戻り、車で持って行く物を積み始めた。
コンクリートブロック4個、これは重いので宅配便には向いていないが、人間よりは軽く、車で持って行ける。脚立,アイロン台,分解したカラーボックスの縦板、これらは細長いが横向きでも車に収まる。洗剤等の液体、特に開封したものは中身が漏れる恐れがあるので、ビニールの手提げ袋に入れて車で持って行くことにした。


車に荷物を積んでいたら、町内会の人がやって来て脱会届を書いてくれとのこと。
14:20 予定より少し遅れてガス屋さんが来た。ガスはこの時点で使用量を計量し、現金精算とのこと。入居時に支払った保証金一万円也の領収書があり、精算したら支払いではなく、いくらか戻ってきた。

ガスの精算が終わった後、区役所へ。主目的は転居届だが、水銀体温計の回収は区役所へ持ち込みとのことなので、昨日破損した水銀体温計を持って行くことに。破損したとき、ケース本体とキャップの間をガムテープで塞ぎ、さらに密封できるポリ袋に入れておいたのだが、ポリ袋の中に直径1mmほどの銀色の玉ができていた。ありゃりゃ。水銀がケースから漏れているようだ。
水銀体温計をポリ袋に入れたまま、歩いて区役所の担当課に持っていった。その後、転出届を出した。まだ昭和の1988年11月から32年近く住んだ横浜市旭区から転出することになった。これまでの人生の半分以上を旭区で過ごしたことになる。

区役所から帰ったら、右足の薬指に豆ができていた。ウォークでは豆のできない場所なのに。前日何度も重い物を持って階段を降りたせいだろう。

車に積む物をほとんど積んだ後は大掃除。台所の流し,洗面所,換気扇やベランダなどは前日までに掃除していたので、最後の掃除は主に壁や床。ぞうきん掛けをしていたら汗だくだくだった。
夕方掃除を終え、この日も戸塚駅前のビジホ泊。

20.06.11(木)
朝、ビジホをチェックアウトした後、車でアパートへ。少しだけ残った最後の引っ越し荷物を車に積んだ。9:30 不動産屋の立ち会いの後、車で出発。2006年9月から14年近く住んだこのアパートともこの日でお別れ。


1978年、大学進学で神奈川に引っ越した。以降、仕事で石川県金沢市と宮城県矢本町(現在は東松島市)に1年ずつ住んだが、それ以外はずっと神奈川県に住んでいた。延べ40年、これまでの人生の2/3を過ごした神奈川県ともお別れ。

首都高から東北道に入ったあたりから睡魔が襲って来た。引っ越し作業の疲れが出たのだろう。
昼頃に横浜を出ると盛岡着は夜になるため、途中で一泊する予定とし、栃木県矢板のビジホを予約していた。PA,SAで何度か休憩、仮眠して矢板に着いた。チェックイン開始の15:00ちょうどくらいにビジホに着いた。

20.06.12(金)
朝起きて朝食をとったが、やたら疲れていた。引っ越し作業の疲れが治っていないようだ。ビジホに連泊するすることにし、午後まで部屋で寝ていた。

20.06.13(土)
朝、ビジホをチェックアウトし、雨の中を大田原へ。矢板→大田原のこの区間は、おくのほそ道ウォークで3年前に歩いた道である。大田原からは旧奥州街道を北上したが、途中で道を間違え、旧街道から外れてしまった。旧街道に戻り、白河市内を通ったら道路工事中の区間があった。
東北本線が旧街道を跨ぐ陸橋で、煉瓦造りの古い橋脚があった箇所だった。道幅がかなり狭かったので拡幅するのだろう。すでに新しい橋桁が架けられていて、完成は近いようだ。あの煉瓦造りの橋脚も撤去されたか。

矢吹で東北道に入り、その後はひたすら北上。関東と南東北はこの日梅雨入りとのニュース。
栃木・福島県内はずっと雨だったが、宮城に入ったあたりから晴れてきた。

14:20 盛岡の自宅に到着。車の荷物を部屋に運んだ。宅配便で送った荷物も既に全部着いていた。コロナの影響で引っ越し日程が流動的だったが、なんとか引っ越しできた。引っ越し作業の最中はずっと晴れ。梅雨入り前に引っ越しできてよかった。