13.8.09(金)
朝起きたら霧。近くの高層ビルの30階あたりから上が霞んで見えない。昨夜は小雨が降ったようだ。
● Екатеринбург ●
エカテリンブルクは、あまり観光名所のある街ではないようなのだが、
ロシア革命で皇帝一家が処刑された地。そこを見たかった。
ウラル山脈中部の東側(アジア側)斜面にある町で、時間帯はGMT+5。
ウラジオ,ハバロフとは5時間違い。モスクワとは2時間違いである。
ロシア国内では5番目に人口の多い都市だそうで、乗らなかったが、地下鉄もあるそうだ。
● EXPO ●
霧は晴れてきたが、曇りで肌寒い。半袖で出たが、半袖でも大丈夫ではあった。ただ、ほとんどの人は長袖。
市内を歩いていたら、WORLD EXPO 2020 の垂れ幕が見えた。2020年万博はエカテリンブルクなんだ。
私の60歳定年の直後だから、その時また来てみるかな。
1960年生まれの私は、年金受給開始が64歳だから、どうなることやら。
● 終焉の地 ●
皇帝一家が処刑された場所は、現在では「血の上の聖堂」となっている。

写真.血の上の聖堂。ロマノフ朝終焉の地。
ニコライ2世一家が処刑された跡地に建てられたそうだ。

写真.血の上の聖堂。ニコライ2世の展示案内板。

写真.ニコライ2世一家最後の写真。息子や娘らも、全員銃殺されたという。
● 革命にはつきもの ●
フランス革命ではルイ16世と、その妃マリー・アントワネットがギロチンにかけられた。
ロシア革命ではニコライ2世一家。革命にはこういうことがつきまとう。
今年の大河ドラマ「八重の桜」を見ていると、明治維新では、徳川幕府が無血開城に応じたため、
代りに会津藩が血祭りの犠牲となった。
● モスクワへ ●
エカテリンブルク定刻14:49発の029列車に乗車。最後の車中泊である。ケメレボ発モスクワ行き029列車。
真新しい新車だった。ベッドも真新しく、収納場所も工夫されていて使いやすい。
コンパートメントの同室は、30歳ほどの女性と1歳ちょっとくらいの男の子。
なんてこった。イルクーツク→クラスノヤルスクと、クラスノヤルスク→エカテリンブルクの
両方の列車で見かけた男2人連れが、同じ車両にいた。
● ウラル山脈 ●
エカテリンブルクの40キロメートル西は、ウラル山脈の峠。分水嶺がアジアとヨーロッパの境。
ヨーロッパとアジアの境界線が走っている。ここからヨーロッパ。
もっとも西欧諸国は、ロシアのことをアジアの国と思っているようだが・・
標高の高い峠ではなかったが、境界にオベリスクが建っているというので、写真を撮ろうと思っていた。
キロポスト1778~1777間にあるというので、それを目安にしようとしたのだが、保線作業で、
上り線を使った単線運転をしており、下り線沿いにあるはずのキロポストは一時的に撤去されていた。
目の前を通り過ぎたのに気づき、なんとか撮影。

写真.ウラル山脈分水嶺にある、欧亜境界のオベリスク。拡大したのでぼやけてます。
● 新型車両 ●
新型車両だけあって、トイレはタンク式。新幹線や飛行機と同じように、ボタンを押すと吸い込むタイプ。
これまで5泊の寝台車は、すべて垂れ流し式だった。
ビールを買いに食堂車へ行こうとしたら、車掌の女性が、レストランはないよ。ビールはここで売っている。
と、車掌室の冷蔵庫から缶ビールを出してくれた。
食堂車のように、コスト高で収益の上がらないものは淘汰される。かつての日本の食堂車もそうだった。
もうからないから価格を上げる。高いから客が遠のく。食堂車はそうして消えていった。
ソ連邦崩壊と資本主義復活から20数年あまり。利潤追求の考え方は、着実に浸透している。

写真.ウラル山脈西側の集落
ウラルを越えてすぐのペルミで、同室に男性2人乗車。35歳くらいと30歳くらいかな。
ここまで同室の母と男の子は、ベッド1つらしい。
いくら1歳ちょっとでも、母と2人で、寝台車両の狭いベッド1つじゃ大変だろうに。
● -2時間 ●
21時頃、時間帯をまたいだが、時差は2時間。これまでは1時間づつだったが、なぜかここだけ2時間。
時計を調整。これでモスクワ時間と同じ。日本とは5時間違いとなった。
食堂車がないので、買っていた韓国ラーメンを食べ、車掌室へ行って缶ビールを買った。