11.02.25(金)
■□ 1年前、造血幹細胞自家移植 □■
2010.02.25(木)の移植からちょうど1年。
その間、社会復帰もしました。再々発とならないことを祈るのみです。
■□ 1年前、造血幹細胞自家移植 □■
2010.02.25(木)の移植からちょうど1年。
その間、社会復帰もしました。再々発とならないことを祈るのみです。
これを機に、ブログのタイトルとか、マイナーチェンジしました。
●○ おととしの東海道 ○●
約2か月ぶりに旧東海道歩きを再開。
1泊2日の予定で、車でなく新幹線往復としたので、
着替えなどで荷物がやや多く、大きいほうのデイパック。
1泊2日の予定で、車でなく新幹線往復としたので、
着替えなどで荷物がやや多く、大きいほうのデイパック。
この頃、APL再発の皮膚浸潤が既に出ていましたが、
その時は、再発によるものとは思いませんでした。
2009年3月01日(日)
●○ 東海道18日目 ○●
朝、亀山のビジホを出てJR関西線の気動車で関駅へ。
旧關宿を通ったすぐ後、道は鈴鹿川沿いの谷へ。
48.旧阪之下宿は53宿中、現在最も人口が少ないでしょう。
バスの便も平日3往復だけで、土日祝日のバスはないとか。
阪之下宿から峠に行く途中、ウォーキングの団体がいた。
峠から尾根沿いに西へ向かう山道へ入ったから、東海道歩きの団体ではないらしい。

写真.鈴鹿峠にて
鈴鹿峠を越えて近江に入った。多少の残雪も覚悟していたが、雪はなかった。
雪がない代わりに、峠から49.旧土山宿への道中は杉が多かった。
風で枝がそよぐたびに、杉花粉が舞い上がっているのがはっきり見えた。
杉花粉って、あんなにはっきりと見えるんですね。
重症ではないが、私も軽度の花粉症。これにはまいった。
土山宿の手前の道の駅で昼食。たいしたメニューがなく、残念
土山の先、白川橋付近は旧街道そばに橋がなく、500mほど南側の現在の橋を渡るしかないが、
旧街道のルートも見たかったので、分岐点から1kmほど旧ルートを歩き、
野洲川で遮られた地点から引き返し。
500mほど南側の現在の国道1号の橋のすぐ南隣に、歩行者用の橋があった。
この橋を渡ったのだが、車が通れるほどの幅はなく、旧国道橋ではなさそう。元は何の橋だったのか。
白川橋からしばらくの間、野洲川は河床が低く、旧街道は右岸の少し高い位置を通っている。
50.旧水口宿の2kmほど手前で通りがかりの神社に立ち寄った。
人がいて、中を見せてくれたが、絵馬の多い神社ということだった。
私が今日、関から歩いて来たと言ったら、江戸時代の末頃に、関から持ってきた
石碑(石碑だったかな? 記憶が定かでないです)があるということだった。
夕刻、旧水口宿着。關から水口まで約27km。白川橋の寄り道を入れると29kmくらいか。
近江鉄道の水口石橋駅でこの日のウォーキング終了。
近江鉄道で米原へ。米原から新幹線で帰宅。
2009年2月28日(土)
●○ 東海道17日目 ○●
朝、新横浜始発の「ひかり」で名古屋へ。名古屋から近鉄線。
43.四日市宿の少し先、近鉄日永駅へ。ここから再開。
3kmほど先に日永の追分。伊勢神宮へ行く街道はここで分かれる。
●○ 東海道17日目 ○●
朝、新横浜始発の「ひかり」で名古屋へ。名古屋から近鉄線。
43.四日市宿の少し先、近鉄日永駅へ。ここから再開。
3kmほど先に日永の追分。伊勢神宮へ行く街道はここで分かれる。

写真.日永の追分の道標。
旧東海道と伊勢街道の分岐点
旧東海道と伊勢街道の分岐点
近鉄内部駅の少し先で住宅地の中を通ったが、未舗装区間あり。
工事中の場所や河原以外で未舗装なのは、石畳の区間を除くと、
9日目の宇津の谷峠以来かな。
内部橋を渡った先に杖突坂の上り坂あり。
ヤマトタケルノミコトがここを通ったとき、戦で疲れ果てていて、
あの倭建命でさえ杖を突いて歩いた。のが名の由来。とか。
まあ、こういうのは後世の創作、作り話でしょう。
また、松尾芭蕉がここで落馬し、「歩行(かち)ならば杖突坂を落馬かな」と、
季語のない俳句を詠んだ。という説明板があった。
300年ちょっと前の芭蕉の話なら、まだ信憑性があるが、芭蕉の創作かもですね。
奥の細道にも、事実と異なる創作がかなりあるらしいです。
44.旧石薬師宿では、佐佐木信綱記念館を見学。
その直後、擬宝珠(ぎぼし)のある歩道橋で国道1号を渡ったところに、
宿場の名の由来で、広重の53次にも描かれた、石薬師寺がある。境内を見学。
45.旧庄野宿で、庄野宿資料館を見学。東海道で最後にできた最も小さい宿場とか。
ここで、やはり東海道を歩いている横浜の磯子区の人と出会った。少し変わった人だった。
広重の53次「庄野」に描かれた、笠を被り雨の中の上り坂を急く旅人の絵は、
53次の中でも傑作だが、庄野付近にこのような坂はなく、これまた創作らしい。
井田川駅近くの、国道1号に面した牛丼屋で昼食。
46.旧亀山宿は、亀山城のある城下町。磯子区の人は亀山でこの日のウォーキング終了。
私は城跡を見学した後、47.旧關宿へ向かった。
布気(ふけ)の集落の手前で道を間違え、少し引き返した。
東海道の5日目と6日目に箱根,沼津で会い、私より先行した人も、ここで間違えたと言っていた。
布気の先でJR関西線の跨線橋を越え、鈴鹿川の土手の上の道に出た。
夕刻、47.旧關宿着。日永駅から關宿まで約26km。JR関西線関駅へ。
100年以上前、官営の東海道本線と名阪間の旅客の争奪戦をしたという関西鉄道。
その関西鉄道が今のJR関西本線です。往時を偲ばせる長いホームに、
2両編成のワンマン運行の気動車がきました。「つわものどもが夢の跡」ですね。
関駅から亀山へもどり、この日のウォーキング終了。亀山駅そばのビジホで一泊。