25.12.12(金)
盛岡市内に住む叔母と、母,私,弟の4人で昼食。5年前に私が定年退職して横浜から盛岡に転居した翌月、この叔母も八戸から盛岡に転居してきたのだが、時々こうして会食に誘ってくる。叔母の住んでいるマンション傍にあるカジュアルなフレンチレストランで昼食。ちょうどいい機会だったので、母が老人ホームに入居したことを叔母に話した。
前回同じレストランで会食したのはいつだったかな。昨年だったかな。その時は母はナイフとフォークを使えていたが、今回はうまく使えず、フォークを右手にグー握り
していた。グー握りしたフォークを料理に突き刺すような使い方で、「お恥ずかしいです」と言っていた。徐々に伸ばせなくなっている右手の指が3本目に及び始め、フォークをうまく持てなくなってしまったようだ。やはりもう家事は無理だろう。こういうタイミングで老人ホームに入れたのは幸運だったな。
25.12.13(土)
この日も母の部屋に追加で物の搬入とセッティング。入居してみて、やはりあれが要るこれが要るとなるのは仕方ない。新しく買うことはなるべくせず、今まで使っていた物や不要となっていた物で済ませているが、電気ポットとテレビの分配器は新たに購入した。
15時過ぎ、母の弟(私の叔父)がやってきた。都内在住なのだが叔父の妻も岩手出身で、妻の父の法事が翌日あるため、その途中に立ち寄ることになった。母の部屋でしばし会話。
25.11.26(水)
同じマンションに住む弟が、終活セミナーを聞きに行こうと言ってきた。盛岡市内に今年開所した老人ホームで開催とのこと。部屋の内覧も可能とのことで、そこの宣伝のようなものかな。
私は盛岡に転居して5年半だし、もともと情報通ではない。それに対し、弟は30年以上市内に住んでいる。こういう情報入手にも長けているようだ。
25.11.29(土)
母,弟と一緒に3人でセミナーに行った。外部からの講師はライフプランナー。聴講後、会場となった老人ホームの空き部屋を見学。
最小面積の部屋(18.7㎡)で最上階の一階下の部屋が空いていて、ここを薦められた。同じ最小の部屋で若干安価な下層階の部屋はすべて契約済みとのこと。一方、最上階や角部屋は広めの部屋で高額だが、こちらもすべて契約済み。料金プランを見せられ、最小のこの部屋ならなんとか払えるかな。と見当を付けた。盛岡だとこの値段だが、首都圏でこの条件の部屋だと倍くらいはするのかな。とても入れないだろう。
1泊¥3300で体験利用ができるが、11月~12月は6泊無料の体験利用ができるとのこと。これに申し込み。
25.11.30(日)
私が同居を始めた5年半前、母は右手の薬指が曲がったままで伸ばせなくなっていた。食器洗いの際、ガラスのコップを落として割ることが何度もあった。昨年あたりからは右手の小指が同じ状態になり、最近中指にも波及してきた。
この日、母は老人ホームに入ることを少しためらっていた。「老いては子に従え」だよ。提案してきた息子(私の弟)の言うとおりにしなさい。利き手の指の自由も利かなくなり始めているし、ぐずぐずしていると、候補の部屋を他人にとられちゃうよ。
25.12.01(月)
母は入居すると決心したようだった。
25.12.03(水)
体験利用には健康診断書が必要とのこと。老人ホーム近くの指定診療所で健康診断。健診後、老人ホームへ。母がアセスメントを受けている間、私は利用申込書に記入。
25.12.04(木)
一昨年、母のガラケーをスマホに変えたが、2年半経っても使い方に慣れなかったようだ。老人ホームに入る前にケータイに戻すことにしたが、ソフトバンクに行ってみたが在庫なし。手配しても納入まで相当時間がかかるとのこと。
25.12.05(金)
ドコモにらくらくホンの在庫があるとわかり、スマホから機種変更。
25.12.07(日)
この日はウクライナ国立バレエ「ジゼル」盛岡公演があった。母から頼まれて事前にチケットを5枚購入していた。同じマンションにいる息子(私の弟)の妻と娘、盛岡市内の姪(私の従妹)二人といっしょに出かけていった。私は留守番。
期せずして入居前のいい思い出になるかな。と思っていたら、従妹が会場から電話をかけてきた。母はチケットを3枚しか持っておらず、残り2枚は事前に従妹に渡したと言っているそうだが、従妹は受け取っていないとのこと。真相はわからないが、母も認知症気味だな。
25.12.08(月)
車に荷物を積み、昼前に母を連れて老人ホームへ行った。体験利用開始。初日の昼食は私の分も提供してくれるとのこと。老人ホームの昼食を初めて食した。
夕方自宅に帰った。5年半ぶりに一人暮らしに戻ったが、母の残していった食材がかなりある。豆腐が数丁あったので、茹でた後にポン酢をかけてビールのつまみにした。これからしばらくはこういう食生活になるかな。自宅と老人ホームの往復もこれからしばらく続くだろう。
夜11時過ぎに最大震度6強の地震。盛岡は震度5弱とか。こういう場合、あの老人ホームはどのように対応するんだろう。
25.12.10(水)
米もかなり残っているので昼に一合、自分で炊いて食べた。料理はほとんどできない私 M3V、炊飯器を使ったのは何年ぶりだろう。おかずは残っていた冷凍のうなぎ蒲焼き。二十歳前後の頃は一合でも物足りなく感じていたが、この歳だとやはり一合は多いな。
25.12.11(木)
正式契約。やれやれ。急だったがなんとか母を老人ホームに入居させた。ただこれですべて終わった訳ではない。今まで通院していた病院から診療情報提供書をもらったり、とか、いろいろ残っている。何より年明けには初期費用の振込みも控えている。
25.11.24(月)
20年前のこの日、白血病と診断され、即日入院となった。本田美奈子.さんが白血病で亡くなった半月後だった。入院初日のベッドの中で、あと何か月生きられるのかな。と真剣に考えたが、240か月後の今日、こうして生きている。同級生にも私より後で癌になり、私より先に逝った者が何人かいる。憎まれっ子世にはばかる、かも。今年高齢者となったが、健康余命はあとどれくらいだろうか。