25.10.25(土)
雨のためほぼ一日ビジホにいた。
25.10.26(日)
大船駅前のビジホをチェックアウトし、車で東急田園都市線の梶ヶ谷駅前のビジホへ。
25.10.27(月)
梶ヶ谷駅で東急田園都市線に乗り、長津田でJR横浜線に乗り換え、中山駅へ。
↑この日歩いたルートと写真など
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経緯度・名称はらんまるさんの記事から引用
9:48 中山駅からこの日の街道歩きを開始した。つもりだったが、北口と南口を間違えていた。すぐに間違いに気付いて引き返したが、どうもこういうポカミスが多くなってきたなあ。加齢のせいだろうか。
川和宿二十三夜燈
10:38 川和宿の解説板前を通過。
丹沢が見えた
11:34 尾根道から丹沢が見えたが、山頂付近には雲がかかっていた。車道から右側の階段を下り、真福寺脇に出た。その先のあたりが荏田宿とのこと。
荏田宿
解説板によると、荏田宿は大山街道の宿場とのこと。さっきの川和宿は大山街道ではないらしいから、このあたりで鎌倉街道中道と大山街道が分かれるのかな。
霊泉の滝
正午頃、霊泉の滝前を通過。生のまま飲んではいけない。とか書いてあった。霊泉の滝の少し先で雨がぱらりと来た。丹沢の山頂付近にも雲がかかっていたし、前回同様、今回も天気予報外れか? と、危惧したが結局大丈夫だった。
12:35-13:05 鷺沼駅前で昼食。歩き始めから 10.9km,16,483歩。昼食後歩きを再開。
宮崎大塚古墳
13:56 宮崎大塚古墳に行ってみたが、どうも個人宅の敷地内のようだ。勝手に入る訳にはいかないだろう。
14:00 過ぎ、前日チェックインしたビジホ前に着いた。思ったより汗をかいていたのでタオルを欲しくなり、ビジホの部屋へ行った。ついでに部屋で着替え。昼食から 3.69km,5,771歩。
末長交差点 手前から奥が旧街道
ビジホの前は国道246号線。旧街道は国道246号で遮られている。ここは近くの歩道橋を渡るしかない。
14:30 前、梶ヶ谷から坂を下り、多摩川沿いの平地に出た。川崎市高津区の中心部である。1978年4月、高校を卒業して大学に進学し、最初に3年ほど住んだのがこの高津区だった。もう47年以上前になるんだな。関東に住むというだけでワクワクした気分だった。
二ヶ領用水 きれいになったなあ
14:48 二ヶ領用水に架かる大石橋を渡った。ずいぶんきれいになったなあ。45年前は全くのドブ川で、魚など住める状態ではなかった。「ふるさとの二ヶ領用水はドブ川ではありません」と主張する環境保全運動が、当時始まっていた。その功績だろうか、大石橋の解説板には棲息している魚などの解説があった。
15:00 大貫病院跡を通過。岡本太郎の母でもある歌人、岡本かの子の生家跡である。45年前は大貫病院の建物が残っていて、診療もしていた。
その後、以前住んでいた学生寮跡に行ってみた。郵政省(当時)の学生寮で、住んでいたのは、1978年4月~1981年6月の3年余り。今ではマンションになっていた。寮の向かいにはサンジェルマンの工場があって、そこでアルバイトもしたが、その工場も無くなってマンションになっていた。
3年余り通学で利用した二子新地駅にも行ってみた。寮から転居した4年後、このあたりで事件があった。10歳の男児がダンプカーに接触して両足を開放骨折し、病院で輸血準備中のところに Yの証人の信者である両親がかけつけ、輸血を拒否したため男児は出血多量で死亡した。新興宗教による輸血拒否が世に知られるきっかけとなった事件だった。その狂信者の両親が経営する書店がこのあたりにあったらしい。
二子橋
15:20 二子橋を渡って多摩川を渡り、東京都に入った。この橋も何度も渡ったなあ。15:28 二子玉川駅に到着。多摩川を渡っていた二子の渡しは、このやや下流側にあるようだ。この日の街道歩きは、二子玉川駅で終了としよう。梶ヶ谷のビジホから 4.9km。
玉川高島屋へ行ってみた。おそらく45年ぶりだろう。玉川高島屋から戻って二子玉川駅で東急田園都市線に乗り、4駅目の梶ヶ谷駅へ。ビジホに戻った。



























