M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLで通常のM3型(多顆粒型)ではなく、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

24.7.05(金)
自宅の洗面・風呂脱衣スペースの天井照明は、洗濯機前の壁にスイッチがあり、1回押すとON/OFFが切り替わるタイプである。ワンプッシュするとバネの力で跳ね返って元の位置に戻るのだが、前日頃から元の位置に戻ったり戻らなかったりするようになった。21年以上使い続け、そろそろバネがへたってきたのだろう。そろそろ新品に交換だな。

業者に頼むと費用がかかるので、自分で交換することにした。2か所以上でON/OFFできる3路配線スイッチではなく、1か所だけでON/OFFする片切スイッチであることを確認。ホームセンターへ買いに行った。1セット税込み¥767。

「電気工事士法によりこの器具の施工は電気工事士でなければなりません」との表記。ネット検索したら、無資格での電気工事は「3万円以下の罰金、または3カ月以下の懲役」とのこと。私しゃその資格は持ってないので、厳密には違法行為、犯罪となる。この罰金刑を受けた人はいるのかな。まあ、そのうち規制が厳しくなって、販売時に免許確認とかなるかもね。

今年4月~5月に旧鹿角街道歩きをしたときは、線路内へ何度も立入りしたが、あれも知っていての違法行為。自動車を運転する時はほぼ毎回、制限速度違反をしているだろう。今NHKで放送中の朝ドラ「虎に翼」では、主人公の佐田寅子判事が、家族が闇市で買ってきた闇米のご飯を食べるシーンがあった。遵法精神、どこまで厳密に法を遵守するか遵守できるか。まあ、スイッチの交換はそこまで大げさなこともないか。

壁とスイッチプレートとの隙間は何度か微調整したが、交換は簡単だった。漏電や火災が起きないよう、電線の被覆がない活線部分が露出していないことはもちろん確認した。

 

新品に交換後

 

撤去品

 

検索したら、部品単独でのネット販売もあった。写真左の黒と水色の部品、スイッチ本体だけ買うこともできるということだが、まあそこまでしなくても。1セット丸ごと新品がいいさ。

24.7.02(火)
朝、新聞を取りに玄関の郵便受けへ行き、部屋に戻って新聞を開いたら、折り込み広告にお詫びの文書があった。盛岡市内のマンションの広告チラシに、岩手山と間違えて岩木山(青森県)の画像が掲載されていた件だった。文面はホームページのお詫びとほぼ同じ。文の最後は「盛岡市民のさま、関係される皆さま方に、大変ご不快な思いをさせてしまいましたこと、心より深くお詫び申し上げます。」
 

ローカルニュースでも取り上げられていて、市長に謝罪したと報じられていたが、ご丁寧にお詫びのチラシまで配布とは。ネット上には「地域へのリスペクトなさ過ぎ。」というような投稿があった。チラシを作成した代理店のミスで、マンション販売会社は指摘されてチェック漏れに気付いたのだろう。


私は「大変ご不快な思い」とまでは思わなかったが、そう思う人はいるだろうし、クレーマーもいるんだろうな

24.6.21(金)
まず、淡路一宮へ行った。今回の旅で3つめの一宮である。特に一宮巡りをする予定もなかったのだが、結果としてそうなった。
 

 

伊弉諾神社


神社の名は伊弉諾神社。古事記や日本書紀で、イザナギ・イザナミの神が国造りを始めて最初に産んだのが淡路島とされているから、一宮も伊弉諾(イザナギ)神社なんだな。

次に北淡震災記念公園へ。阪神淡路大震災の地震で動いた野島断層の亀裂上に造られた施設である。来年は阪神淡路から30年。もうそんなになるか。
 

明石海峡大橋 淡路側


明石海峡大橋を渡った後、阪神高速に入った。阪神高速を前回通ったのは震災前だったので、30年以上ぶりということになる。奈良県桜井駅前のビジホにチェックイン。

24.6.22(土)
室生寺を見学した後、三重県に入り、伊勢湾岸道,中央道を通り、信州の駒ヶ根へ。

24.6.23(日)
駒ヶ根から諏訪へ出て、和田峠を越えた。2009年、中山道を歩いた時に越えた峠である。そのとき既にAPL白血病再発の症状が出始めていたなあ。もう15年も前かあ。

24.6.24(月)
六日町を出て北へ。小出の酒屋で「風味爽快ニシテ」を2箱購入。私はビール党で、酒と言えばビールという人間なのだが、この「風味爽快ニシテ」が一番美味い気がする。
小出で国道252号に入り、六十里越峠へ。只見線沿いの国道である。35年ほど前に一度通った記憶がある。会津に出て、国道49号に入った。猪苗代湖岸を通った後、郡山へ。

24.6.25(火)
郡山を出て盛岡に帰着。当初予定がなくなって長距離フェリーの予約が残ったため、何となくとりあえず出た旅だったが、11日で帰ってきた。