都希です。
人は、寂しくてたまらないとき、
不安でどうにもならないとき、
悲しみにうちひしがれるとき、
藁をも掴みたい気持ちになる。
だけど、そういうときに、すぐ近くに掴む藁すらない。
助かる!と思って掴んだ藁さえ、ただのカカシだったりする。
話を聞いてくれる人がいても、話したところでよけいモヤモヤしてしまった。
どうして?
こんなに苦しんでるのに、どうして誰も本気で私を助けてくれないの!?
こんなことで苦しんでる私のほうがおかしいの!?
そしていつのまにか、もともと悩んでいたことよりも、本気で話を聞いてもらえないことや、わかってもらえないことでつらくなってしまっている・・・。
藁をも掴む思いで人に助けを求めたのに、思ってたような反応が返ってこなくて、ガッカリして落ち込んでしまう。
私も以前はよくこのパターンをくりかえしていて、人に話すほど不安がどんどんふくらんでいました。
親身になって話を聞いてくれる人もいたけど、いまいち伝わってないなぁと感じたり、誰からも私が心から安心できるような言葉はもらえませんでした。
なぜなら、藁をも掴みたい気持ちになっているときっていうのは、ちょっとしたパニック状態になっています。
話を聞いてくれる人と温度差があって当然なんです。
それに自分の気持ちを他人に変えてもらおうとしてもムリな話です。
自分の気持ちは自分にしか変えられないんですから。
子どものころ、親がイライラしたり悲しんでるのを見て、自分のせいだと思ったり、親の気持ちを自分がなんとかしてあげなければと思ってきたなら、
友達やパートナーに自分の気持ちをなんとかしてもらうのが当然だと思い込んでいたり、
逆に相手の気持ちを自分がなんとかしてあげなくちゃいけないと思ってしまうものなのかもしれません。
でも、自分の不安な気持ちは自分でなんとかしようと思わない限り、不安なものは不安なままです。
そして不安はごまかそうとすればするほどふくらんでいくものです。
そこから抜け出すには、人に求めていてはダメです。
それは、自分と向き合い、行動することで少しずつ確実に変わっていきます。
たとえば、どうにもならない苦しい気持ちがあるなら、気がすむまでその思いを紙に書き出してみたり、
ネットで、これから受けてみたいセラピーを探してみたり、
人間関係が苦しいのなら、納得いくまで心理学などの本を読んで、相手の気持ちはどうなのか考えてみることも立派な行動だと思います。
人に求めず、自分で探して、行動する。
そうすることで、自分で腑に落ちることも増えてきます。
たしかに、人に話を聞いてもらうことで楽になることもあります。
だけど話したことで逆にモヤモヤしてしまうとか、不安な気持ちになってしまうのなら、
相手に自分の気持ちを変えてもらおうとしていないか、
一度自分の心をよく見つめてみることが必要かもしれません。

よくお参りに行く神社の敷地に立っているカエデの木。
