恋が実るのも、
結婚が決まるのも、
ずっと願ってた夢が叶うのも、時間と段階が必要です。
私のかんもく症だって、どんなに話したいと願っても、ある時期がくるまではどうやっても話せるようにはなれませんでした。
一歩一歩、段階を踏むことも必要でした。
がんばってても、前に進めないなぁ、というときは、いまはそれが叶う時期ではないのかもしれません。
このブログをはじめのころから読んでくださってる方はご存じだと思いますが、
私はうちの夫とずっと別居していて、
早くこの状態をなんとかしよう、なんとかしようと、あせったりもがいたりしてきました。
でもどんなに前に進もうと思っても、どうしてもダメなんですよね。
まるで鋼鉄の壁にはねかえされるみたいに、行こうとしてもそこから先へ進めない。
この壁はいったい何なんだろう。
どうしたら越えられるんだろう。
私のがんばりが足りないからダメなんだろうか。
モヤモヤする日々が続きました。
だけど、人生には、機が熟さなければどうにもならないことがあります。
壁の正体がはっきり見えたとき、いまはその時じゃないんだと、ようやく腑に落ちました。
そうはいっても、離婚寸前の夫婦ならまだしも、どちらかといえばうまくいっている夫婦が別々に暮らしてるのは、とても不自然なことです。
どうしてすぐにでも一緒に暮らさないの?
まわりからそう言われることもあります。
私も人目が気にならないと言えばウソになるし、さみしくないと言えば閻魔さまに舌を抜かれてしまうかもしれません。
でもそういう目に見えるもののなかに、私が本当に求めているものはありません。
いま見つめなければならない大事なことは、
体裁や、「夫婦はこうあるべき」という概念ではなくて、もっとちがうところにある。
そう思います。
もちろん目に見えるカタチだって、すでに立派な愛なんだと言われればそうなのかもしれません。
それでも、最期にはホンモノしか残らないと思うんです。
そのホンモノは、目に見えるカタチに縛られることもなく、目には見えない深い深いところで光輝くものだと思います。
それに今は、私たちはかならず一緒に暮らせる、って信じています。
たとえ時間がかかっても、目指すところはひとつなんです。
前に進みたくても進めないときはとても苦しいものです。
さらに意地になって頑張ろうとしたり、できない自分を責めたり、
どうせムリなんだ・・ってすぐ諦めようとしたりしてしまうものです。
でも、時には、「いまはその時じゃない」と一度手放すことも必要なんだと思います。
手放すことは、諦めではありません。
幸せになることをぜったい諦めないための一歩なんだと思います。

子どもとお散歩とちゅうに咲いていたツバキです。