昔の人にもかんもく症だった人がいたのかな

こないだ何となくそんなことを考えていたとき、ふと思い出したのが、
子どものころに読んだおとぎ話、鉢かつぎ姫です。
その名のとおり、あたまに鉢をかぶった姫さまの話なのですが、
鉢をかぶった姫さまの姿が、学校でしゃべりたくてもしゃべれない自分となぜか重なり、子ども心にとても印象に残ったんです。
どうして姫さまが鉢をかぶることになってしまったのかというと、
姫さまの母君が病気で亡くなる前、観音さまのおつげにしたがい、大切な娘の身を守るためにそうさせたのです。
でも鉢をかぶることによって、姫さまの魅力もそこなわれてしまうのです。
まわりからも疎ましがられるようになります。
私もかんもくの症状が出ているとき、あたまに鉢をかぶってるみたいに、自分のまわりに分厚い透明な膜がかかってるようでした。
そうやって強い不安から自分を守っていたのです。
人前では自分を出すことができなかったし、そのせいで人から誤解されることもたくさんありました。
どうして観音さまは、姫さまに鉢をかぶらせたのでしょう?
そのために姫さまは大変な苦労をしてしまうのです。
それに鉢で守られなくても、美しく気だてのいい姫さまなら、みんなから愛され、しあわせになっていたでしょう。
きっとここに大切な学びがあるんだと思います。
観音さまが姫さまに苦労をさせてまで学ばせたかったものは何でしょうか。
それは、どんなことをしてもけっして取ることのできなかった鉢が、こなごなにくだけ散ったときに初めてわかるんです。
私もかんもく症という重たい鉢をやっとおろすことができて、いま思うのは、
鉢かつぎ姫でいう、
“ 観音さまが学ばせたかったもの ”
鉢かつぎ姫のようにつらい思いをたくさんしてきたし、長い間本来の自分の姿ではいられなかったけど、これだけは言えます。
かんもく症も、不登校も、ひきこもりでも、今まで自分の身に起こったことに、
私を不幸にさせようとして起こったことはひとつもなかったなぁって。
姫さまの鉢が「母君の愛そのもの」だったように、私もずっと守られ、導かれていたんだと思います。
たとえ、今は思うように自分を出せなくても、
誰でもキラキラ光る魅力を持っている。
それは人から賞賛されたいと思うほど自分を苦しめるけど、
何もかも諦めようとしたとき、かすかな光を放って大事なことを教えてくれようとする。
最後に姫さまは鉢ごと自分を受け入れてくれる人と出会います

結局姫さまをしあわせに導いたのは、
地位でも見た目の美しさでもなく、
鉢をかぶってもそこなわれなかった、内面から溢れでるかがやき
だったようです。