結婚してから夫の家族を好きになろうとしてもどうしてもできなかった。
『郷に入っては郷に従え』
私の大嫌いな言葉なんですけど(笑)
夫の家はまだそういう考え方が根強く残っている家で、
たとえ口には出さなくても、そういう雰囲気がビシビシ伝わってくるのです。
縛られるのが大嫌いな私は、それが本当にイヤでした。
でもその頃は、私も従わなくてはいけない、それが嫁だ、と思っていたので、
反発しながらも、受け入れていました。
でも夫の家族の側にいるだけでとても疲れてしまうので、なるべく離れていたかったです。
家にいるのに、安らぎも安心もない生活。
私はあと何年こんな生活を我慢しなくちゃいけないんだろう。
部屋の窓から灰色にしか感じられない景色を眺めながら、よくぼんやりと考えたものです。
それから色々あって、その家を飛び出したのですが、
しばらくは夫の家族に対して、私は大事にしてもらえなかった、ないがしろにされた、私は被害者だという思いが強かったです。
でも、今となってみると、本当に私は被害者だったのか。と思います。
というのも、私は自らそういう生活を選んでるんですよね。
結婚前に同居がとても不安だったのに、それを完全に無視してしまったんです。
今波風を立てたら夫と結婚できなくなるかもしれない。それが怖くて。
それに、水回りも一緒の同居となると、自分の思うようにできなくなることもなんとなく予想できてたことです。
それでも最終的には自分で決めて行ったのに、被害者もなにもなかったです。
じゃあなぜそれを選んだのかというと、結局これが私の学びだったんだと思います。
私は夫の家族に、無意識に子どもの頃の自分の家族を重ねていて、
過去にあったことと同じようなことが起こるたびに、ひどく心が傷んで、そこから逃げ出したいくらい苦しかったのです。
でも何よりも苦しかったのは、日に日にどんどん膨らんでくる怒りでした。
その怒りと向き合ったことで、
子どもの頃に抑え込んだ心の傷を癒やすこと、
本当の自分を取り戻すこと、
自分が生きたい生き方を見つけること、
その大切さに気づくことができました。
そのことに気づけただけでも、同居したことはとても意味のあることだったと思います。
ふたを開ければ、家のやり方を守りたい義家族と、自分の好きなようにやりたい嫁と、ただ単純に合わなかっただけかもしれません。
それが、私が自分を知らなかったばかりにこじれにこじれることになったんでしょうね。
結局、私をないがしろにしてたのはわたし自身でした。
ちなみに夫の家族とはずっと会っていません。
まだ顔も見たくない!(/≧◇≦\)
のが今の本音です。
まだしんどかったことが生々しいのです。
限界を越えるまで頑張ったんだから、そのぶん今は自分の気持ちを尊重してあげたいと思います。
ここでひとまず、夫の家での苦しみは手放そうと思います。