不登校になったときのことをまた書いてみようかなという気持ちになったので、少し書いてみようと思います。
不登校になる前か、なってからか忘れたけど、自分の苦しい思いを紙に書きました。
一人で廊下に立ってるのがつらい。
このまましゃべれないまま大人になっても、幸せにはなれない。
学校に行きたくない。
そんなようなことを書いたと思います。
夜、その紙を机の上に置いて寝ました。
祖母が普段から私の机にあるものを勝手に見るような人だったので、きっと見るだろうと思ったのです。
少し勇気がいったけど、祖母が私の机をどれだけチェックしてるのか試したい気持ちもありました。
案の定、翌朝起きると、大騒ぎになっていました。
「ツキがこんなことを書いてた!」って祖母が母に向かって一人で大騒ぎしてた気がします(ここの記憶はあいまいです)。
私にとって精一杯のSOSでした。
でも、この私の行動によって何かが変わったということはありませんでした。
私が不登校になったとき、
祖母は私に嫌味を言い、
父は私に変人と言い、
母は私に「学校へ行ってくれ」と泣いて頼んだ。
どれもキツかったけど、やっぱり母に泣かれたのがいちばんつらかったかな。
ここまで母を苦しめてることへの罪悪感。
それと同時に、その時はっきりと、
“母に見捨てられた”
と感じました。
それはずっと感じないようにしてきたので、つい最近まで忘れていました。
ほんとはあの時、母に、「お前の気持ちなんてどうでもいい」と言われたみたいで、本当に悲しかったんです。
誰も私のつらさを知らないのに、
まわりは、「あの子は学校へ行かない、どうしたらいいの?」って悩んで苦しんでいる。
ちょい、待てぃ!!( ̄□ ̄;)
って今だったら言うんだけど、当時はまわりに迷惑をかけて、全部私が悪いんだと思ってました。
ほんとは、自分はほったらかしされてるみたいで寂しかったと思う。
学校へ行かなくて一番つらかったのは私だったんだから。
あの頃、どこにも居場所がなかったのに、よく頑張ったなと思う。
あの頃の自分をヨシヨシ(--、)ヾ(^^ )してあげたい。
そして最近になって、場面かんもくが番組などで取り上げられたりするようになったおかげで、母も番組を見てくれたり、かんもく症に関する本も読んでくれて。
ある日、本を読んだあと、
「これじゃあ、学校に行けなくなってしまうよね」
って言ってくれました。
あれから20年は経ってるけど、やっと母が私の苦しみを理解してくれた。
ようやく自分が頑張ってきたことを認めてもらえたような気持ちでした。
一度は母とは一生わかりあえないと絶望したけど、今は母と本気でぶつかってよかったなと思います。