判を押したように、どの飴にも金太郎の顔の絵柄がついた「金太郎飴」。

みなさんも一度は目にしたことがあるでしょうか。

金太郎飴は、棒状の飴を均一の大きさに切ってつくったものの総称。

それにしても、なぜ金太郎飴の絵柄は「金太郎」になったのか、気になりませんか?桃太郎でも

浦島太郎でもよかったと思うのですが、桃太郎飴や浦島太郎飴は、聞いたことがありません。

「macaroni」のHPに解説が記載されていました。

 

 

金太郎飴は、江戸時代の中期に江戸で生まれました。

金太郎飴の名で親しまれていますが、正式名は「組み飴」といいます。

組み飴は、さまざまに着色をした粘土状の飴を重ね合わせて、絵柄の元を作り、

それを細長くのばして作る飴。でき上がった飴は、どこを切っても同じ絵柄が見られます。

 

金太郎飴が江戸で登場する前に、すでに大阪で「おたやん」とよばれる組み飴があり、

大阪のそれは、おかめや福助の絵柄が入っていたそうです。 

大阪で組み飴の技術を学んだ職人が、江戸で飴を作る際、当時はやっていたキャラクターの

金太郎を絵柄に採用したことが、現在の金太郎飴の発祥。

もし、桃太郎の方が人気だったなら、桃太郎飴になっていたかもしれません。 

ちなみに、金太郎飴の登録商標は台東区根岸にある「金太郎飴本店」が持っています。

 

江戸の組み飴の代表柄に選ばれた金太郎、

その人気の理由はなんだったのでしょう。

金太郎の物語は、主人公の金太郎が強く健やかに育ち、立派な武士になるまでのお話。

熊と相撲をとり負けなかったことや、大木を引き抜いて、崖と崖の間に橋をかけたなど、

金太郎の桁違いの強さが、爽快に描かれています。

 金太郎のモデルは、後に源頼光の家来となった坂田金時といわれていて、実際の金時も、

かなりの腕力の持ち主だったようです。

物語の内容がどこまで本当なのかはわかりませんが、当時の子供達にとって、

とんでもなく力の強い金太郎は、きっと圧倒的な憧れのヒーローだったのでしょう。

 

千歳飴も、鶴や亀の絵柄が切っても切っても出てくる飴ですが、金太郎飴とは異なります。

原料は同じですが、七五三の時に食べる千歳飴は、子供の長寿を願ったものであるため、

飴をカットしていません。 

また、現在はいろいろな絵柄をほどこした千歳飴も売られていますが、基本的には、

紅白の飴を使って作ったものをいいます。

 

今ではいろいろな絵柄がある金太郎飴。

その発祥は江戸時代の中期と、とても古いものだったんですね。

興味深かったのは、その作り方。

できあがりは、すんなり口に入る小さな飴ですが、カットする前の金太郎飴は、

抱きかかえるほどの巨大な塊であったことに驚きました。 

300年以上も昔に、単なる飴ではなく、絵柄を施した金太郎飴は、当時の人にどのような

印象を与えていたのでしょう。

どの飴にも同じ絵が入っていることはわかっているのに、食べる前に、いちいち見つめて

しまうのは、昔の人たちも同じだったかもしれません。

 

以上、金太郎といえば、サラリーマン金太郎を思い出す営業マンの日記でした(;^_^A