5e93aed7.jpg長い商店街を抜け、緩やかな坂の途中にウルトラマンは立っていました。
そこには幼稚園を改築したような背の低い社屋があり、奥には怪獣倉庫と呼ばれる、アセトンの匂いが立ち込める木造の倉庫がありました。中にはいつも二人の職人さんがいて、床には無数の銀と赤の塗料が染み込んでいてました。

僕がここに通うようになったのは18才の夏で、歌手として忙しくなる二十歳過ぎまで、熱くバイタリティー溢れる仲間達と一緒に、夢中になってアクションに打ち込みました。週末はたくさんの子供達の声援を受けながら怪獣や星人と、そして自分自身とも向き合うように闘っていました。

大きなウルトラマンの像が道沿いに立っていて、ふと見ると中庭で激しい立ち回りの練習をしている様は、たまたま抜け道として通っただろう車の目をよく惹きました。身を乗り出して思わず声を上げる子供と、その表情を嬉しそうにのぞきこむお母さん、懐かしさと共に興奮がこみ上げているお父さん達の視線を感じては、いいところを見せてやろうといつもより張り切ってトンボを切ったりしていたのをよく覚えています。

今思うと、後に出会う舞台の基礎(場ミリとか、ハケるとか、上手、下手など)を学んだのもここでしたし、ショーの現場を通じて先輩から社会のルールなども学びました。日本各地の夏祭りに行けたり、雨の日のデパートの屋上で大事なキメポーズの時にすっ転んだり、握手会で悪ガキに後ろから足蹴にされたり(笑)、キラキラした眼をした子供からイラスト入りの手紙をもらったり、あの頃の全てが青春でした。

あれから10年。時代の流れで会社は別の場所に移り、僕自身久々にこの道を通りましたが、あの青春の思い出の場所は無くなっていました。
ここのところ、ウルトラを取り巻く環境は目まぐるしく変わっているようで、僕達がオリジナルシンガーとして歌ってきたウルトラソングを歌える機会は極端に少なくなりました。いつかまたウルトラヒーローと同じステージに立って歌うことができればと切に願います。そして、志あるスタッフさん達の心で、ウルトラの光がこれからもみんなの夢を照らすことを願っています。