秋元氏歴代墓地 | 赤城南麓陶遊ロードB

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陶芸
誰もやったことのない模様積技法を考案し作品作りに励んでいます。

宝塔山古墳上に設けられた初代から11代まで歴代藩主の墓が並ぶ秋元氏歴代墓地

墓地入口石段

右の石段を上がったところが墓地

  前橋市指定史跡   秋元氏歴代墓地

定年月日 昭和56年4月27日
所在地   前橋市総社町総社1606番地

秋元氏は、慶長6(1601)年関ケ原の戦功によって総社領6千石(のち1万石)を

与えられ、長朝・泰朝の2代に亘って寛永10(1633)年まで約30年間この地を

治め、善政を施した。
総社領における秋元氏の主な業績は、総社城の築城と城下町の形成、天狗岩用水の開さ

くと新田の開発であった。
秋元氏は、寛永10(1633)年、甲州(山梨県)都留郡谷村へ1万8千石で所替え

となる。以後、川越、山形、館林と転封を重ねる間、幕府の要職につき、明治維新をむ

かえることとなる。秋元氏は転封後も悪政に苦しむ総社領民の支援を行い、農民も「力

田遺愛碑」を建てるなどして、旧領主秋元氏への感謝の念を忘れなかった。
長朝の法名は江月院殿臣岳元誉大居士、泰朝の法名は照尊院殿道泰安居士である。

入口から北西方向 正面の墓石は南東向きに前後2列に並びに

前列右から3代、初代、2代、不明

後列右から11代、10代、8代、9代

右の手水盤の後ろに南西向きに2基、奥が4代、手前が7代

左の手水盤の後ろに北東向きに2基。奥が5代、手前が6代

北方向中央初代、左二代、右三代

西方向