癌になって余命宣告から毎日死は私の横にあって

それと共に生きる事はとても辛い事を知った。


人はいつかは死ぬから一緒だよねっていう人がいるけれどそれは違うと私は思う。


なってみないとわからない事って沢山ある。

水を飲める事すら当たり前の事じゃなくて、尿が出る事だって当たり前じゃ無い。


私も家族に沢山の心配をかけてきたけれど、自分の精神を手放す事はまだしていない。下の世話をさせた事も無い。


主人や娘には、私がいつかあなた達を忘れてしまったり、あなた達に対して暴言を吐く様な事があったら、それは本音では無いし、もう私じゃないから傷つかないで欲しいと何回か言った。

私自身が一番そうなる事を怖く思ってる。

なりたく無い。


そんな自分にはなりたくない。

最後の時が来ても、痛みなく私の意識のままで逝きたいって心から願う。


私も介護をしてきたので、一番大変なのは下の世話と夜に眠れなくなる事、ありがとうの言葉も言われなくなる事と知っている。

そこにましてや、暴言など吐かれたら介護する側はどんなにか辛いだろうか。

報われない事は辛い事だ。


赤ちゃんの下の世話を問題なく出来るのは、小さく、愛らしく、どんどん成長も見せてくれるからだ。


大人や老人介護とは訳が違う。


大好きで大切な家族は何かあった時にきっと私の面倒を家でみてあげたいと思うだろう。

私がもう二度と入院したく無い事。

家に戻ってくる事が出来て涙する姿を見ていたから。


でもね、きっと私を大切に思ってくれているあなた達に、私の世話をするのはもう嫌だって思ったり、もし、はやく死んでって思ったりしたら きっと私が逝った後にあなた達の心にひどく傷を残すし、後悔するでしょう。


大好きで大切な家族にそんな思いはして欲しく無いよ。


勿論私はまだまだ頑張るよ。

死ぬ死ぬ詐欺も更新するよ。

もっと一緒にいたいからね。


でも、これからもあなた達にもしかしたらの話はし続けるよ。


最後の時はもし、家で看るならば私が私でいられる間だけ。

下の世話を頼む様な事や私の意識が混濁しているのならば緩和病院へ。

そんなにすぐに病院には入れないんだから

最初から緩和病院で良いからね。とこれからも話続ける。


今、末期の介護で苦しんでいる方のブログを読んで私もとても苦しい気持ちになりました。


病気をしてる本人の気持ちも。

介護する方の気持ちもわかるから。


私も介護を経験して衝撃だったけど、今思えばオムツをしているのに脱いでしまってベットでおもらしをしてしまうのは、意識が混濁していても、まだ頭の片隅にトイレに行く時はパンツを脱がなくてはいけないって気持ちがきっと残ってたからだよね。


でも、尿でびしょびしょになったベットを直して、身体を拭いてあげて着替えさせるのは大変な仕事で介護する人を酷く疲弊させる。


きっと、大切でどんな思いをしても家でみてあげたいと思っている方もいるかと思います。


どうかどうか、介護する方が疲弊する事の無い様、限界だと思う前に、病人本人の為にも、介護なさっている方の為にも他の方の手を借りるなり、緩和病院への入院も考えてみて下さい。


きっと病人本人もあなたが疲弊する事を望んでいないはず。


共倒れなどする事の無い様にして下さいね。

私もそうしたいと心から願っています。