努力とその結果が見合うのか。 弁護士を例に
私は資格というモノをほとんどもっていません。
強いて言えば、宅建の試験に合格した程度。
これは約2か月、ほぼ生活のすべてを勉強に捧げました。
まるで「これで合格すれば自分の人生バラ色!」みたいに勝手に思い込み、自分を奮い立てていました。
最後の数日は、食事、入浴以外はすべて机に向かう生活。
そして、何とか合格しました。
そして感じました。「こんな生活、これ以上長くはできない」と。
日本で最難関の試験とは言わずもなが、司法試験ですよね。
1996年15456人
2006年22021人
2016年37680人
これは日弁連の弁護士白書2016から拾った弁護士の登録数である。
単純言って20年で2倍以上 10年で1.5倍になっている。
30年前、私が大学を出たとき、弁護士と言えば、数ある資格の中でも頂点に立つ
栄えある職業だった。
大学の先輩が4年浪人をして5年目で合格した時、普段、結婚式以外では顔を合わせない同級生がわざわざ祝賀会を開いた記憶がある。
この当時の合格者は500人程度だった記憶がある(曖昧ですが)
そんな映え「あった」弁護士業が必ずしも「映え」あるものにはなっていない。
現在 弁護士になるためには、
大学法学部卒業→法科大学院(2年)→(新)司法試験合格→終了試験(2回)合格という道のりを経る必要がある。
この(新)司法試験の合格率は約20%。受験者は約8000人程度である。
さらに(新)司法試験は3回しか受験できない。
6400人はあと2回のチャンスが残されるわけでが、合格できなければ、法科大学院という司法試験を受けるためだけに通った2年間 実質無駄になってしまう。
壮絶な努力の果てに弁護士になったとしても、かつてのように高報酬が約束されているわけではない。
下記には2つの統計上の資料がある。
これだけでは、必ずしも現場の声を反映しているとは限らない。
大学の先輩弁護士に久しぶりにご機嫌うかがいを兼ねて電話をした。
そこからわかったこと。
その1
食えない弁護士というほどではないが、弁護士の数(供給)が多くその割には事件、案件(需要)は少なく報酬は確かに下がってきている。
その2
かつては低報酬で人気のなかった国選弁護人も今は、比較的人気がある(報酬が確定しているため)
その3
以前だったら弁護士専門だった手続きや交渉が一部、司法書士や社会保険労務士にも解禁されていることも要因の1つ。
その4
特に10年ほど前は過払金バブルというのがあり、その手続きだけで十分、弁護士、司法書士は儲けることができて、需要と供給のアンバランスという問題がしばらく覆い隠されていたことも要因とのこと。
その5
今も儲けている弁護士は一定数いるけれど、いろいろ特化できる分野を見つけている。
「沖縄居住弁護士」「特定の分野だけをルーティン的な数多く安く扱う」など。
何か人と違って得るためには、大きな労力と努力がいる。
「これが手に入れば、人生すべてOK」みたいに「思い込んで」、自分のドライブをかける必要がある。
一方でその努力に見合うものがあるかどうかは、別の目で冷静に見ておく必要もあるのではないだろうか。
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