昭和50年代の鉄道回数券です。
今は回数券という言葉自体が死語になっていますが、昭和時代の紙の回数券を振り返ってみようと思います。
手元には、国鉄・南海・近鉄などの回数券が残っていました。
まずは国鉄の普通回数券、昭和52年(1977年)
美章園~百舌鳥(もず)間の最終券片(11回目)です。
当時の料金で800円で11回分でした。今なら1800円になります。
「終券片と同時に使用しないと無効です」との表示のとおり、最終券片に10枚の回数券がぶら下っていてミシン目で切り離せるようになっていました。乗車駅の改札で見せると、一番下の券片に鋏を入れてくれます。そして降車駅の改札で見せると鋏を入れた券片を切り離して回収して残りを返してくれます。
次に近鉄の回数乗車券です、昭和53年(1978年)
河内山本~久宝寺口の最終券(11回目)です。
最終券片は「11終」と書いてあります。
こちらは南海電鉄の鉄道線の回数券で昭和50年のものです。
当時の南海電鉄は鉄道線と軌道線(現在の阪堺電車)が有りましたが、この回数券は軌道線では使えないものです。
南海電鉄の回数券は駅間指定ではなく表示金額の区間(これは30円区間)で使用できるものでした。
乗車時に改札で乗車駅のスタンプを押してもらい、表示金額内の駅まで乗車できるというものです。
当時の30円だから初乗り最短区間かな。
国鉄の回数券片の切り離したものです。
なぜか未使用に切り離し券片が残っていました。
カッコ内の数字は1~10まで回数を表すものです。
使わずに残っていたものを貰ったものや、使用済みを改札で貰ったものです。
大きさは2種類あったみたいです。切り離したらいつ発行のものかさっぱり分かりません。
一番上のは行先がハンコで押してあります。
近鉄の回数券(下)と、回数券ではありませんが団体計数券(上)です。
団体の人数をカウントする券?昭和55年のものです。
どこで貰ったのかさっぱり記憶にありません。
下の回数券は先ほどの近鉄の回数券の10回目ですね。これが最終券片に繋がっていたわけです未使用です。
そしてこちらが大阪市交通局の回数券です。
上は地下鉄の回数券で、南海と同じように駅間指定ではありません。
しかし地下鉄の場合は金額の示す区間ではなく、区間(この場合は1区間)指定の回数券でした。
駅員さんも忙しかったのか、押印が上下逆さまです。
「肥後」と書かれていますので、「肥後橋駅から1区間」のものです。
肥後橋から1区間だと、西梅田か本町か。
下のは路面電車(大阪市電)の回数券です。
これは祖父母の家に残っていたものだったと思います。
最終券片が残っていないのでいつの時代のものだかさっぱり分かりません。
真ん中の鐘の中と券全面に大阪市の市章が描かれています。
ちなみに裏面ですが、地下鉄のものは真っ白です。
市電のものは回数と金額が記載されています。
当時は市電も100円だったんですね。
(昭和50年代には大阪市電はありません)
以上、昭和の回数券について紹介しました。
ICカードや電子マネー隆盛の昨今では紙の回数券が再び登場することもないでしょうが、探してみれば中小私鉄ではまだ使われているところがあるかも。
喫茶店のコーヒー回数券は電車の回数券を真似て作られたのかな。
あの頃の国鉄電車・・・
最後まで読んでいただきありがとうございました。