寺伝によれば天平勝宝年間、孝謙天皇の勅願により行基が開基し、坐高三尺の如来像を彫り、本尊として、光明寺と号しました。
弘仁年間に空海(弘法大師)が留まって修行し現存の山号、寺号である東山繁多寺に改称したと云われます。
1394年(応永元年)には京都泉涌寺26世快翁師が後小松天皇の命を受け繁多寺第7代住職となり、それ以後高僧が相継いで住職となります。
寵湖は徳川家の帰依を得ることとなり、4代将軍家綱の念持仏三体の一つである歓喜天を祀られることとなりました。
歓喜天とは、ヒンドゥー教のガネーシャのことで、シヴァ神の息子です。
古代インドでは、もともとは障害を司る神でしたが、やがて障害を除いて財福をもたらす神として広く信仰されました。
ヒンドゥー教から仏教に取り入れられるに伴って、悪神が十一面観世音菩薩によって善神(歓喜天)に改宗し、仏教を守護し財運と福運をもたらす天部の神とされ、日本各地の寺院で祀られています。
歓喜天(ガネーシャ)です。
こちらを視ていると、最初に観葉植物(モンステラ)の葉っぱ越しに何やら視えて来ました。
白い正方形の板の上に逆さ涙マークです。
一体何のことか?と考えていて、ふっとガネーシャだと思いました。
闇のお役目はもう終わりです。どうぞ光へとお還り下さい。と伝えて光を降ろしました。
ワーク終了のお知らせは、薄紫色の小さな欄の花でした。
次に祠から馬が5頭私の方へと向かって走って来ます。
馬の背には伏せた姿勢の武士が乗っていて、中央の馬の額には金色の家紋?が付いています。
もう戦は終わっています。あなた方が戦っていた人達ももうこの世にはいません。どうぞ光へと還って下さい。
光と共に一列に並んで、昇って行きました。
次のビジョンは、横一列に並んで座っている5〜6人の身分の高い男女。
最後のビジョンは、大広間です。
やすらかにお還り下さいと光を降ろすと、「さらばじゃ」と還って行きました。
終わりましたのサインは、アスタリスクのようなお花が上から降りてきました。
更に百合の花と横に小さな妖精が視えます。
繁多寺のワークは、これで終わりということでしょう。
この地が光の地となり光が広がりますように。。。
私と皆様の心に光とやすらぎが満たされますように。。。


