'20/11/24
朝7時に目を覚ますも、昨夜から全然体を動かせておらず、これではせっかくの朝食も美味しくいただけないのでは? と散歩に出ることにした。昨日の「虹の松原」が東の浜であるのに対し、今朝は反対側にある西の浜を歩いてみた。夏場は海水浴場のようで 海の家が並んでいる。トイレやシャワー設備を頻繁に目にするよく整備された海岸であった。
行き止まりまで歩いて、帰りは住宅街の道を通った。そこはずっと石垣が続き、往時の唐津城の名残りを残す雰囲気のいい通りであった。
お腹を空かせての朝食は昨夜と同じ部屋で頂いた。美味しいのでもりもり食べた。
チェックアウトして半島にある呼子を目指す。ここは漁村で朝市が有名らしい。魚介や野菜の市が並ぶが 連休明けだけに客は少なく、その僅かな客を狙った客引きが激しい。ゆっくりと見物できず イカのフライを食べただけで見物を終えた。
次は名護屋城へ。今日は博物館が定休日で閉まっていることは知っていたが、城址もあるし 行ったら何とかなるのでは,と向かった。博物館が休みだけに 城址はひっそりして人影がほとんどない。嫁さんが城址を見学するにあたって説明が欲しいと言うので ガイドを頼んだ。
ガイドの女性は丁寧に説明してくれ 城の概要がよくわかった。豊臣秀吉が主導して建てた名護屋城だが、朝鮮征伐の前線基地として わずか5ヶ月で築城し、全国から招集された47藩の大名で人口20万人の城下町が出現したというから驚きである。
そして一番のびっくりは 築城も撤退もあまりに早かったので 資料が残されておらず、昭和43年に発掘されるまで ずっと放ったらかしにされていたという話。大阪城並みに広くて大きいのに 誰も知らなかった(噂にはなっていた) というのはホンマかいな, と信じ難い。ここは東洋のマチュピチュか?
景色がよく、歴史的にもこんなすごい遺跡がなぜメジャーになれないかというと、韓国の反日感情を恐れ 大々的に売り出せないとの言い分は何となく理解できる。たった 1時間半だけの滞在で 博物館にも寄れなかったが、もっと居たい気がした。
城へ入る正面玄関口 本丸越しに見る玄界灘の眺望
城内はキレイに整備されている(ガイド女史と) 全国から参集した大名の陣跡