備中高松城水攻め ~ ちょっと岡山① | 100回行こう、ヨーロッパ 

100回行こう、ヨーロッパ 

.
  100 回行こう! と勢いはよくても、実際の訪欧はまだ約40回。欧州その他への
  これまでの 100 回超の海外旅行で 体験したことや、思ったこと ・ 感じたことを
  つれづれに記してみる。  【タイトル背景はプラハ】

’20/03/21

吉備路へ行ってみたいというので、JRの在来線で岡山まで来た。神戸からだと 2時間で着く。本日の目的地は備中高松城と吉備津神社の 2つである。

 

高松城は秀吉軍の 「水攻め」 により陥落したが、どんな方法だったかに関心が湧く。高松城は平城で、今は公園になっている城址に立っても 周りが平野ゆえ水攻めというのが想像しがたい。

公園内の資料館に水攻めの資料が展示されていて、それには 約3㌔の堤防を築き そこへ川から水を引いて城を水没させたと記されている。それで城址からはるかに離れた場所まで行き、残る堤防の一部を目にして やっと具体的なイメージが描けた。堤防で水をせき止め、ちょっとしたダム湖にして城を沈めてしまったワケだ。

 

空海が満濃池を作ったのが 700年頃だから1600年頃には 築堤の技術は十分にあったと思われるが、堤底22m幅、高さ7mで約3㌔もの堤防を12日間で完成させたというのは、重機もない時代だけに 一つの神話かと疑う。

 

 

 公園内看板に描かれた「水攻め」 の想像図           今も堤防の一部 (右中央の小山) が残る。鎖は堤防幅を示す