津波被災地を行く⑦ ~ 名取市 | 100回行こう、ヨーロッパ 

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  100 回行こう! と勢いはよくても、実際の訪欧はまだ約40回。欧州その他への
  これまでの 100 回超の海外旅行で 体験したことや、思ったこと ・ 感じたことを
  つれづれに記してみる。  【タイトル背景はプラハ】

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昨日、おとといと一日中 車で走ったものだから 疲れが溜まり、昨夜はぐっすり眠ってしまった。今日は昨日までと一転して 朝から晴れている。せっかく盛岡の中心に泊まったのだからと 朝食後に近くの盛岡城跡に散策に出る。緑の多い都心の空間だが、平日ゆえ ほとんど誰もいない。城跡だけに園内は高低差があり 石垣も立派だ。2-30分歩き回って散策は終わり。帰途に土産館に立寄り ご当地みやげを何点か買い求め、まとめて自宅に送ってもらう。到着は明後日になる由。あまちゃんに出てくる「まめぶ」も2袋買ってみたが、そんなもん誰も食べへん、と嫁さんは冷たく言う (帰宅後 実際に口にしたら美味しいと言ってたが… いらつく )


ホテルに戻って チェックアウトしたのが10時半過ぎ。あとは仙台空港を目ざして車でひた走るだけ。東北自動車道は車も少なく 走りやすい。途中 松島とかに寄るだけの時間はないが、まっすぐに空港へ行くには 時間が余るということで、仙台空港手前の名取インターで高速を降りることにした。

名取市は震災当日に 津波が町を襲っていく様子が ヘリから中継された地である。TVの映像は、津波が田畑を飲み込んでいってるモノだったが、海岸近くの住宅地まで行ってみたら、広いエリアの住宅が みな無くなっている。少し陸側に戻ると 住宅が残っていたが それもよく見たら残骸で、住めずに放置されているモノばかりだった。今回の旅行の最後を飾るに相応しいというか、ここもダイナミックに破壊されていた。名取はこれまで見てきたリアス式海岸と違い、砂浜の広がる平坦な海岸である。それでもこんな被害が起きているのだから 津波の破壊はところ構わずである。


今回は三陸の海岸沿いを270~280キロに亘って走ったが、南端の名取市から北端の宮古市まで 海沿いはみなこんなだった。どこまで甚大な被害だったかを改めて知った。

あれほどマスコミで報道され 理解していたつもりだったが、来てみて初めて分かることも多かった。今回の経験が今後にどう生きるか分からないが、この旅行は意義があったように思える。


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名取の海辺は震災前はこんなキレイな住宅地だった(野天のボード<上画像>は色あせていた)

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それが今は あっちもこっちもこんな景色だ

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避難所の中学校(廃校になった)では 14名の在校生が犠牲になった

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車を返却した空港近くのレンタカー会社では車が全滅したと言っていた。

窓ガラスに被災時の水ライン(2.05)が表示してある