津波被災地を行く③ ~ 気仙沼市 | 100回行こう、ヨーロッパ 

100回行こう、ヨーロッパ 

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  100 回行こう! と勢いはよくても、実際の訪欧はまだ約40回。欧州その他への
  これまでの 100 回超の海外旅行で 体験したことや、思ったこと ・ 感じたことを
  つれづれに記してみる。  【タイトル背景はプラハ】


見学初日の予定のうち 塩釜、石巻、女川の3か所は見終えたが あと陸前高田と気仙沼が残っている。女川を見終えた時点で 既に4時半になっており、地図で見ても予定した行程の まだ半分しか走っていない。その頃から雨も降りだし、あとは宿を予約している大船渡に向かって ひたすら走るだけであった。そのため陸前高田と気仙沼は 夕闇の中に街の灯りを目にするだけで終わった。


女川から大船渡までは行程が100キロくらいあり、海岸線に沿って国道45号線が走っている。リアス式海岸の奥まった所には 必ず漁港と集落があるが、その全部が全部と言っていいほど 軒並み津波にやられていた。マスコミに報道されるのは大きな町ばかりだが、聞いたことのない小さな町や集落も 同じように甚大な被害を受けていた。

国道45号線には津波標識が付けられていて、過去の津波で浸水したゾーンが示される。「ここから先が浸かった所です」の標識が出てくると建物が消え 屋敷跡が出てくる。「浸水はここまででした」の標識で 家並みが復活する。45号線の走行中、これが何十回と繰り返される。気仙沼の市街は 45号線の右下海側に拡がっていたが、少し高台を走る 45号線自体がその浸水ゾーンに入っている。すると右下海側の街はどうなったんだと思いながら 闇の中を走り抜けた。


100回行こう、ヨーロッパ  ~ 世界旅行百話 ~
津波標識の説明が立てられていた
100回行こう、ヨーロッパ  ~ 世界旅行百話 ~

水門だけがしっかり残り、その両脇の建造

物が壊れているパターンをよく目にした