ある気功師・883

人間は傲慢という癖がある
(私なんて傲慢が趣味でもある)
「傲慢」は道を外れる運命を負っている。
「傲慢」で道を外れぬ事は無い。
(ということは・・・私の人生・・・)

ところが人間には理屈があり、感情がある。
傲慢の大義名分が立派だと傲慢に見えない。
立派だと感動もあり、意味も付けられる。
「生きている事」よりも立派な意味に思える。
「立派な事」が価値有ると思ったりする。
「生きている」だけじゃ、価値が無いように思える。

立派だろうが、人類の為だろうが傲慢は傲慢。
価値があろうが無かろうが、それは別次元の話。
「生きている世界」では「生きている事」が
基礎であり、土台であり、全てである。


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