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Shall we think?!

一個人、海賀大湧の自由な発想の記

生活を豊かにするために、大量に物が行き渡る。


生産する側は、できるだけ標準化し、効率化を目指す。安く、大量に仕上げるために。その生産プロセスに関わる人々は、一部のデザインなどの企画者たちを除いては、定型業務に携わることになる。知恵がしぼむ。


発想や工夫こそ、働く楽しみの大きな要素だと思うが、標準化に巻き込まれた人々はそれを忘れてしまう。やる気も落ち、保身に勤しむ。


チャップリンの「モダンタイムズ」は、「資本主義社会を生きている上で、人間の尊厳が失われ、機械の一部分のようになっている世の中を笑いで表現している。」とウィキペディアで解説しているが、豊かになった現代でも同じようなものだろう。ただ、人々が気を紛らわすことができる娯楽が多くなっているに過ぎない。「まあ、楽しく過ごそうよ」と。


標準化された製品、規格化されたマニュアルが生活者である私たちの生活を満たしてくれるのに、それが一方では働く生産者の私たちのマインドを蝕んでゆく。


昔も今も、そして将来も変わらないかもしれない。


希望の光もある。例えば、スターバックスには顧客対応マニュアルは無いそうである。それでいて、あの店員の対応の良さ、自然さが生まれている。その理由は、下記の5つのクレド(信条)を共有し、顧客に対して何をするか考えて自律的に行動するため。


  • 歓迎する(Be Welcome)
  • 心をこめて (Be Genuie)
  • 豊富な知識を蓄える(Be Knowledge)
  • 思いやりを持つ(Be Considerate)
  • 参加する(Be Involved)

    信条に共感し、自分たちで考えて行動する自律性が、自然な心からの応対につながって、私たちに好感を与えてくれる。



    自律性の「のりしろ」の大切さ。お客様のために、世の中の生活を豊かにするために、標準化の呪縛から離れて、自律的に考える会社・人が増えてきている。ありがたいことである。


    できるかぎり、創造的な活動ができる環境にいたいものである。

  • 映画「海猿3」を見た。


    人の役に立つ、人の命を救うために、多くの海上保安官が「熱い絆」でつながっている。彼らは、人が世代を繋いで、世の中を作って来たことを本能的に知っている。その救助にかける熱意に、涙する。


    振り返って、現実の仕事の場面に戻る。


    人に嘘をつき、平気でルールを破る。良心のかけらも感じられない人同士が、欲にまかせて群れてつながる。自分たちの権益を守るために。彼らは、親の顔や家名・ご先祖様に泥を塗っていることに気がつかないのか。


    同じ一生なら、間違いなく、人の役に立つ熱い絆の仲間の中で、長い時間を過ごしたい。


    祖国を、母なる大地と呼ぶことがあると思います。


    私たちが生まれ、存在を受け止めて、育ててくれている大地が、祖国であり、母なる大地(母国)と呼べるものだと思います。


    私たちは、母国の恩恵に感謝し、豊かな母国を作り、母国を心から愛するからこそ、後世の発展を期して若者を育て、引き継ぐのだと思います。


    今の日本はどうでしょうか。日本の民は、そのような想いで生活ができているのでしょうか。メディアや知識階級の皆さんは、そういう想いを広げようとされているでしょうか。政治(政治・公務員)や財界の皆さんは、ほんとうにこの母国の発展・継続のために尽力されているでししょうか。



    研究が進み、日本列島には様々なDNAを持った方々が混在していることが判明しています。日本独自系、南方系、沖縄系、中国系、韓国系、モンゴル系、北方系・・・正確な割合はわかりませんが、混在は地域によってもかなり差があるようです。科学は正直です。(オリエント系もあるという方もいるようです)



    しかし、どの土地から来たとしても、それらの民を受け入れたのは母なる日本の大地です。みんなにとって、日本は母国だと思います。例えば韓国から来て日本に定住している方々も、韓国から見れば、日本に定住した人々として偏った目で見られ、なかなか寛容に受け入れてもらえないのではないでしょうか。



    もうこの近代化の進んだ時代です。日本の国内で足を引っ張り合ったりしないで、古代からみんなを受け入れてくれて、一緒に生活しているこの日本を、みんなの母国として一緒に盛り上げようではありませんか。



    少なくとも、そういうマインドで日本がまとまり、世界と向き合うことが大切だと思います。



    United States of Japan (日本合衆国)です。




    日本は、欧米人に従って、明治維新や戦後復興を成し遂げました。


    その先を行くためには、彼らの思考を超えなくてはなりません。


    彼らは、スターウォーズ計画から宇宙への移住まで考え、遺伝子レベルの探求により生命の倫理にまで踏み込みそうな勢いを持ち、世界の人口・食料問題を現実的に解決する道筋を探ろうとし、世界の軍事・金融システムを牛耳っている、そういう所謂「とんでもない巨大な思考の持ち主」です。


    日本人の友好な共生意識では計り知れない存在だと思います。彼らの知を上回る「何か」を考え、提示し、彼らからの畏怖と尊敬を得なければ、何事も対等には進みません。


    世界の環境や歴史についてイニシャティブを取る京都や奈良の活動は高く評価されます。日本は、そういった動きを、政治・経済や教育などの分野でも発揮しなければなりません。


    大きくものを考え、細かい点まで分析して、グローバルで対等にコミュニケーションができるような人材が各分野に多く出ることや、そういう活動をする人材にメディアが焦点をあてて積極的に評価する動きが大きくなることを期待したいです。



    何か新しいことを考えたり、始めようとするとき、それに賛同する人、賛同しない人に分かれます。


    もちろん、その新しいことが、多くの人々に幸せをもたらすことが大前提ですが。


    賛同する人は、新しいことの「価値」を理解します。それがもたらす「効果」をイメージでき、そのイメージに合わせて自己の今後の活動を適応するイメージも持つことができます。予め、新しいことがもたらす変化に対応するための準備(学習・備え等々)ができている場合もあるでしょう。


    賛同しない人は、新しいことによって引き起こされる「変化」に不安を覚えます。特に、慣れ親しんだ従来のやり方や既得権益を放棄・減少することに、大きな「抵抗」を感じます。あるいは、そもそも自己過信等々によって、新しいことの「価値」を理解できない場合もあります。


    その両者の意識のすり合わせには、一定の「時間」が必要です。そして、お互いの信頼感が第一の前提条件です。


    日頃から「変化を想定して」活動している人々が多く暮らす社会は、その時間が短いですし、そうでない「安定した状態」を望む人々が多く暮らす社会は、かなりの時間を要します。


    両者が合意するためには、新しいことがもたらすことの価値を心から「共感」することと、新しいことと従来のやり方が相互に融和して「いい部分を残し合うような「共生」が重要になります。



    おそらく、日本は長い時間をかけて、そうやって成熟してきたのですから。


    皆、やろうと思えば、いつでも、どこでも、そうできるのだと思います。



    日銀が、ゼロ金利政策と30兆円規模の基金創出を決めた、とニュースで報じられました。


    民間金融機関へ資金を直接的に供給しても、リスクをあまり取らない民間金融機関の方針では、貸し出し資金として(中小)企業には回らず、あまり民間にお金が出て行きません。それでは経済全体に与える影響が小さいです。


    今回の30兆円基金の創出は、不動産を含む投資信託の買取などにも活用されます。それは、基金が直接マーケット(投資家)に渡る、すなわち市場に出てくることを意味します。経済の活性化、民間の経済活動にとてもインパクトのある、素晴らしい政策だと思います。他国の中央銀行も踏み込んでいない領域のようです。


    日銀は、半年ほど前にも、今後の成長産業を育成するための資金を、民間の金融機関に優遇金利で提供する政策を打ち出し、実行しています。


    大きな視点で、国の民のことを考えてくれる頼もしい方々が日銀にいらっしゃいます。


    ほんとうに、ありがたいです。応援しています。


    人は何のために学ぶのか。


    自分の感性に従って、好みや趣向に合わないことを全て避け、気持ちよい感覚を優先して学び、楽しく進んでいく人もいるだろう。一方で、自分の好みや趣向はさておき、社会や人々の幸せを願い、その実現のために学び、時には苦しくも進んでいく人もいるだろう。


    いずれにしても、「昨日の自分より少しでも成長していたい」から、学ぶのではないかな。


    その先に、「こんな自分になっていたいなあ」というイメージがあるのだろう。そして、具体的に学ぶ機会を作って、現実を進むことになろう。


    だから、「今のままの自分が好き」、「自分を変えたくない/自分のままでありたい」、「自分をわかってもらいたい」という想いが強いと、なかなか学ぶ意欲も湧きにくいのではないかな。


    「成長とは、自分を良い方向に変えること」と、どこかで認識すれば、ずーっと学んでいけるような気がしています。いくつになっても。


    いつまでも、若く、若く:笑。


    サンデル教授の「東大での授業(前編)」を見た。


    やはり、「4人の漂流者が、その中の1人を殺して生き延びる」ことが、”第一のテーマ”であった。


    私たちは、何故、そのテーマが「これからの正義の考察」の最優先テーマなのか、そのテーマを設定した人間の意図を見抜いて議論に参加しなくてはならない。


    1000名?の公開授業で、教授はファシリテーションを続けてゆく。質問を投げかけ、発言を促し、それらの発言の主旨を整理して、結論を出さずに進めてゆく。時に、圧倒的少数の意見の1人と圧倒的多数の意見の1人を対峙させることにより、「どんな意見も平等である」と印象づけるトリックを駆使してゆく。


    おそらく、教授が現段階で自信を持って進めている目的は、私たちの思考・マインドを「揺らがせる」ことであろう。


    どんな正義のあり方も、再考察の対象内である、と。私たちの思考を、そのような「絶対的(な正義)ではない揺らぎの状態」にしてから、現実の問題が発生し、どんな対応もありうる=それが現代の正義である、とする地盤作りを行っているように感じた。


    特に、東大生のようなアカデミックを自負する学生が多く集まる場では、「頭がいい」と思われたい方々が集まってくるので、アカデミックな形式の議論を拒絶することは想像できず、教授の思惑通りに進んでいってしまう。


    もっとも、「功利主義代表と思われた学生」が、最大多数の幸福のために富の再分配を擁護したことには、サンデル教授もあせったのではないか:笑。それが日本人の賢さであろう。私は、大喜びで、ほっとしています。



    地球が60億人の人間を抱え切れない状態に陥る危険性をはらんできている。そして、欧米人は自分たちのイニシャティブ(世界をリードする立場)を手放したくないはずである。


    いずれにしても、「これからの正義」を持ち出してきた意図を見抜いて、日本人として冷静に対応したいものである。



    また、後編をみたらコメントしたいなあ。


    サンデル教授の本、「これからの正義の話をしよう」について、未読なるもこの段階であえてコメントを。


    正義は普遍的な概念ではないのかな。定義は難しいが。


    書籍の解説に、下記のような記載があった。


    「1人を殺せば5人が助かる状況があったとしたら、あなたはその1人を殺すべきか? 金持ちに高い税金を課し、貧しい人びとに再分配するのは公正なことだろうか? 前の世代が犯した過ちについて、私たちに償いの義務はあるのだろうか――。」


    いかにも、世界をリードする富める者たちが、「富める者が全ての弱者を救う」という人道的な常識をくつがえそうとして、最高にアカデミックな学者によって流布させているようなテーマだと感じた。あくまでも読前感だが。


    だいたい「1人を殺せば5人が助かる状況があったとしたら、あなたはその1人を殺すべきか?」なんて乱暴なテーマが許されていいものか。誰がその1人を選んでいいのか。映画アルマゲドンでは、惑星に1人で残るブルース・ウィルスを選択するプロセスに対して、仲間も、娘も、そして映画の観衆も涙したのではないか。「1人を殺せば・・」という設定は何なのだ。何故、その設定が「真っ先にくるのか」、その「設定の意図」を見抜かないといけない。とにかく乱暴すぎる。



    ベンジャミン・フルフォード氏が言っていたが、地震兵器や気象兵器が存在しているそうだ。その前に、ゴア氏の「不都合な真実」が流布され、地球温暖化による環境の激変を煽られたのは、記憶に新しい。


    何だか、歴史に出てくる「宣教師がまず現れて、その後に征服者がやってくる」という説に近いものを感じる。


    恐ろしや、恐ろしや。



    また、「サンデル教授の東大での授業」を見てからコメントしよう。

    誰かが何かを作っている、生み出している。製品やサービスに工夫を凝らし、より多くの人に買ってもらい、利用してもらえるように最善の努力をしている。


    その誰かが、仕事帰りや休日になると、何かを買ったり、利用したりして過ごしている。


    同じ誰かなのに、生産したり、消費したり。


    だから、自分が買いたい、利用したいと心から思うものを、一生懸命に生み出せばよいのだろう。それが「お客の立場に立つ」「お客の気持ちを考える」という顧客指向の原点になるのだろう。


    お客(相手)を思う気持ちが、日本の製品・サービスの品質を格段に向上させている。