こんにちは、Mです。
エホバの証人の出版物について、
例えば矛盾点をつくことを目的としたマニュアルはすでに専門家の方々によって作られているようですし、
「JWの出版物使ってると洗脳されちゃいますよ~洗脳を解くためにはこれ読んでくださいね~」的なものを私ひとりで作ろうというのはおこがましいし主観も入って偏りも出てくるでしょうし、どだい無理な話です。
そんなわけで、出版物について、どういうふうにアプローチしようか?と考えていました。
わがまま欲張りなブログ的アプローチ
せっかくだから、知識と経験を活かして心理学の視点から見ていきたい。
「その読み方はなかった!」という斬新さも可能であれば、加えたい。
多くの人が思っている「JWの本ってなんかヘンなんだよね」という疑問への答えを私なりに見出したい。
・・・これらのわがままかつ欲張りな条件を満たすブログ的アプローチが、ついに見つかりました。
それは、
「本文は置いといて質問に先に答える」
というものです。
わがままジュリエットな条件を全部満たすかどうかはわかりませんし
スタートしてみないとどうなることやら、という感じなのですが、
まずは、想定している手順をご紹介します。
JW出版物へのアプローチ…私なりの試論
JWの出版物が洗脳の危険があるとされるのは、
この脚注部分の質問の答えを、本文の中から探さねばならない点にあると思います。
答えは自分で考えるのではなく、与えられたものの中から選ばなければならないのです。
でも、ちょっと冷静に考えてみてください。
ふつうなら、本文を読ませる前に、質問に答えてもらうものではないでしょうか。
JW出版物のアプローチはすでに洗脳的である
ある前提を与えて、質問をし、その前提の中から答えてくださいね・・・という方法は、確実に、ひとつの思想に導こうとしていますよね。
思考を深めたり新しいことに気づいたりしていくにはまったく無意味な作業です。
研究生に対しては「自由に答えてくれていいんですよ~」と言ってくれる司会者さんもいるかもしれませんが、
本文を読んでおきながら、まったく異論を唱えるのも気が引けるでしょうし
本文の内容が直前にあるわけですから、「本文から答えなきゃ!」という気持ちにならざるを得ません。
・・・ここが、すでに洗脳っぽい流れのようにも感じます。
「本文の中に答えがある」システムの危険性
この「本文の中に答えがある」というシステムが基本になっているから、
自由に聖書を読めなくなるのです。
JWの出版物なしには、自由に日常生活を送れなくなるのです。
そう考えると、エホバの証人、ものみの塔の指導方法は洗脳・・・と言える気がします。
さらに怖いのは、
このような方法でJWの出版物から質問にあてはまる文章を抜き出しただけなのにもかかわらず、
別の機会に同じ質問をされたとき、
「その答えは〇〇です」
「そう聖書に書いてあります」
といったふうに、答えてしまうことです。
自分で考えたことでも、聖書に書いてあったことでもないのに
JWの出版物の文章を答えとしてしまう。
JWの出版物を介した研究によって自分の「答え」が決まってしまう。
・・・洗脳ですね。
JWの聖書研究は、JWに都合の良い答えを身につけるためのシステム
聖書を学ぶことが目的なら、聖書をメインテキストにすればよいのです。
エホバの証人さんたちも、聖書を一緒に読んでいけばいいのに。と常々感じています。
「聖書、読んでますよ」とおっしゃるJWさんがほとんどだと思いますが、
「一度でも、まったくJW出版物を参照せずに聖書を読んだことがありますか」という質問にyesと胸を張って言える人は、おそらくいらっしゃらないと思います。
JWの書籍がメインテキストになっていて、書籍から答えを探すシステムでは、学べるのはJWの思想だけです。
まじめに学んで、出版物の質問に答えても、それは「聖書が教えてくれた答え」や「自らたどり着いた答え」ではなく「JWによって期待される答え」です。
JWを信仰するなら、それでも良いのですが・・・。そうじゃないですよね。当たり前ですけど。
洗脳的なアプローチに惑わされず、
主体的にJW出版物を読んでみよう!
そこで!
本ブログ「JW出版物分析」の中の「自由に&心理学的にJW出版物を読む」のコーナーでは、
まず、
「書籍の質問部分だけを読み、自由に、かつ心理学的にその質問に答えていく」
という方法を試してみよう! と考えました。
その後で、JW出版物の本文を参照して
「自由に、かつ心理学的に考えて出した答え」と、
「JWによって期待される答え」を比べます。
・・・ちょっと楽しそうじゃないですか?(ワクワクしてるの私だけ?(笑))
自由に&心理学的にJW出版物を読む 手順
手順の例を書いてみますね、
『聖書は実際に何を教えていますか』の第1章の3節をご覧ください。
この本の表紙の質問や前書きにある質問、それからこの賞の最初に出てくる質問について考えてみてください。
このような問いはあなたにも関係があり、非常に重要な意味を持っています。
しかし、多くの人は、答えを探す努力をやめてしまいました。
なぜでしょうか。
質問の答えは聖書にないのでしょうか。
答えは難しすぎると思う人もいれば、質問するときまりの悪い思いをするのではないか、と心配する人もいます。
そういう質問は宗教の指導者や教師に任せておくのが一番、という見方もあります。
あなたはどう思われますか。
書籍を見ると、本文の下のほうに、この節に関する質問があります。
「多くの人が、非常に重要な質問の答えを探す努力をやめてしまうのは、なぜですか。」
↑この質問に、まず、まっさらな気持ちで答えます。
第1章3節を参照せずに、質問の答えを考えていきます。
心理学的な読解も試みます。
ひととおり自由に&心理学的に読解をし終えたら、
JWによる「期待されている答え」を出版物の本文から見つけます。
そして、
「自由に出した答え」と「期待されている答え」を比較検討します。
以上が、「自由に&心理学的にJW出版物を読む」コーナーの試みです。
その先に、何が見つかる…?
質問の内容によっては、書籍の本文と関連した答えが出ることもあるでしょうし、本文とはまったくかけ離れた答えが出る可能性もあります。
素直な態度で臨もうと思っていますので、
まるっきり宗教や聖書を考えずに答えてみたり、
もしキリスト教や聖書の話として考えるなら…という方向性で答えてみたり、
さらに、一般性を重視した立場や心理学的な立場で考えてみたり…
思いつく限りのいろいろな答え方をしていこうと思っています。
「自由に出した答え」と「期待されている答え」、
そして「JW出版物の本文」を比較検討することで、
いろんなことが透けて見えてくることでしょう。
読者のみなさんにも「ほほぅ、面白い」と感じていただけるような「何か」が見つかることを祈りつつ、
今回の試みをスタートしたいと思います。
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臨床心理士M
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2016/12/6 加筆修正しました