昭和39年10月の信越本線 | 鐵の道

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主に鉄道を絡めた写真を撮っては掲載しています。

 

また、ある方のブログ投稿を受けての記事になります。

 

碓氷峠は、昭和38年にアプト式から粘着運転に替わり、昭和39年当時は、まだ単線だったかと思います。

 

185系電車は、踊り子メインと思っていたので、185系が碓氷峠を超えていたのは、改めて知ることとなりました。(200番台)

ただ、189系や489系のように、EF63との協調運転ではなかったようです。

 

碓氷峠を超える特徴として、空気ばねの空気を抜く機能はあったみたいです。

 

 

話はかわり、上の写真の赤丸部分ですが、「第1志賀」。

屋代で分割して、長野電鉄に乗り入れて湯田中まで行っていたんですね。

かつて長野電鉄屋代線は、長野電鉄長野線の須坂までつないでいました。

 

 

余談

碓氷峠を廃線にしたのはミスだと思います。

トロッコ的列車を走らせば、かなりの人気を博したと思います。