こんにちは まさくんです
さすがに10月下旬になり気温が下がってきまして
日中は暑いと感じても朝晩寒いと思い始めています
みなさんは
体調は大丈夫ですか?
僕は少し風邪気味になってみたりしましたが
なんとか持ち直して元気です
さて今回は
多摩川浅間神社への参詣です
公共交通機関を利用されての参詣は
多摩川駅の駅前なので全く問題ありませんが、、、
車での参詣の際には駐車場入り口を見落とさないようにしないと
大変ことになりますので入り口はしっかり確認してください
社号標
旧社格の村社とされています。
明治40年に”一村に一神社”合祀政令が出された時に
当時は浅間、赤城、熊野の3社がありましたが村人達の話し合いで
浅間神社がこの地の鎮守となられたようです。
社号標の台座の石が凄いです
写真に右側にちらっと映っているのは・・・
大祓詞石車
一の鳥居
白糸の滝
手水舎
右にチラッと見えているのは開運水晶玉
台座を廻して自分の干支と富士山を指して開運を願うとか
見晴台
開運水晶玉に願いこめましてから進むと見晴らし台になっています
多摩川がすぐ横を流れていて河川敷が広々と見晴らしがよいです
電車もすぐ近くをガタンゴトンと
少しだけ見ていましたが
通る度に型の違う車両が通っていて なかなか楽しいです
拝殿
由緒
当浅間神社は、今から八百年前の創建と伝えられます。
鎌倉時代の文治年間(1185~90)、右大将源頼朝は、豊島郡滝野川松崎に出陣しました。
夫の身を案じた妻政子は、後を追ってここまで来ましたが、わらじの傷が痛み出し、
やむなく多摩川畔で傷の治療をすることになりました。
逗留のつれずれに亀甲山(かめのこやま)へ登ってみると、富士山がじつに鮮やかに見えました。
富士吉田には、自分の守り本尊である「浅間神社」があります。
政子は、その浅間神社に手を合わせ、夫の武運長久を祈り、
身につけていた「正観世音像」をこの丘に建てました。
村人たちはこの像を「富士浅間大菩薩」と呼び、永く尊崇しました。
これが「多摩川浅間神社」のおこりです。
承応元年(1652)5月、浅間神社表坂の土どめ工事をしていたとき、
九合目辺りから唐銅製の正観世音の立像が発掘されました。
多摩川で泥を洗い落としてみると、片足がありません。
そこで足を鋳造してお祀りし、6月1日に神事を行いました。以来、ご祭礼は6月に行っております。
扁額
鈴緒
御朱印
境内案内図
白糸の滝の流れ
本日も読んでくれてありがとうございます
どうか今日もあなたが幸せでありますように
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