「生きる」というテーマの中で、長崎出身のアスリートとして、スポーツは平和でなければ成り立たない事を伝えました。
8月9日午前11時2分、サイレントとともに黙とうを捧げました。
皆さんは毎年、この日をどのように過ごしていますか?
私はこれまで、8月9日の午前中も欠かさずトレーニングを行い、11時2分には必ず黙とうをしてきました。しかし、福岡で約18年間、競技に全力を注いでいた時期に、2度ほど黙とうを忘れてしまったことがあります。
後になってその事実に気づいたとき、胸の奥から強い罪悪感がこみ上げてきたことが今も心に残っています。
私は4度パラリンピックに出場しました。その原点は「戦争からの復興」にあります。1948年、イギリスのストーク・マンデビル病院で脊髄損傷患者のために開かれたアーチャリー大会が始まりです。
戦争で負傷した兵士がパラ陸上の選手になった例もあります。パラリンピック以外でも、国際マラソンでハンドサイクルを使い、マラソン距離に挑む人々がいます。彼らは過去の戦争体験を背負いながらも、前を向き続けています。そんな姿を見て、人は過去を抱えながらも「今」を生き、「これから」を楽しむことができるのだと感じました。
だからこそ、私も競技や活動を通じて「今をどう生きるか」というメッセージを届けていきたいと思っています。
安心して暮らせることこそが、今の日本が平和である証です。
戦争を想像できなかったり、平和について深く考えたことがないほどの平和な時代なのかもしれません。
それは、とてもありがたいことです。
しかし、日本が戦争に参加した事実や、広島・長崎での原爆被害は決して忘れてはなりません。
先人たちの苦しみと犠牲の上に、今の平和があることを心に刻み、
その想いを抱きながら、これからも活動を続けていきたいと思います。
今後、被爆地以外の人や次世代とのつながりは、とても難しくなっていくと思います。
九州の中にも、登校日が8月9日ではなく8月6日の学校があり、驚いたことがあります。長崎に近いのに、です。(笑)
私は8月9日といえば「原爆の日」と自然に口にしますが、それすら思い出せない人、知らない人は今後ますます増えていくでしょう。
だからこそ、この日を忘れてほしくないし、忘れてはいけない。
80年前に実際に起こった、この最悪の日の出来事を――被爆者ではない私であっても、伝え続けていくべきだと強く思っています。
最高の仲間たちと😊
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