この年で17liveなるアプリにハマった。視聴専門で先月のお彼岸から見始めた。

17.live

このアプリで流れている配信は、今のところ日本語、中国語(旧漢字体)英語の三つが主流だが、将来的にはマイナーな言語でも広く配信できるようになる可能性あり。
今でも広東語の配信はかなり多いみたい。日本語では演奏の合間に生粋の関西弁を聞くこともある。

チャットの機能があってリスナーが文字で話しかけると配信者が生の声で返事をする。20代の頃なじんだアメリカの英語がまたなつかしく感じる。

このアプリの中で動くお金の量も驚異的。 演奏や歌唱が得意なひとは国境を越えて、路上とは比べものにならないくらいの投げ銭を集めることができる。

よくないところは電波の消費量。1ギガぐらいはすぐに消費するし、帯域の広さも必要。


長らく気になっていたヘナ染めをやっと始めた

まだ、やり始めたばかりで あまり理解していないので備忘的に書く


ヘナはインドの薬草で白髪を赤茶色に染める。黒くしたいときは煮出しコーヒーで溶かし藍を併用する

但し、藍染めはヘナに比べてかなりトリッキー

高温の湯で藍の粉を溶かし、すぐに短時間(15~20分)塗り込めたあと 黒タオルを巻き空気と湿度を一定期間(45~1時間)保つ。温度と湿気と空気による酸化が黒髪をつくる

藍は髪の毛に浸透するというよりヘナと結びついて発色する

それも、すぐに発色するのではなく時間をかけて染まっていく

その発色の難しさが普及を阻んでいる
長い間使った旧デザインから新デザイン(CSS編集)に移行しました。

アメブロのデザインは、プロフィールが四角(2013年版)か、丸(2016年版)かで簡易的に新旧を区別できるらしい



こちらは旧デザイン(パソコン版)

9header asian textile

神戸市内から見る六甲山は目の前の緑だが、大阪に近づいて西宮から見ると空中の水蒸気の影響?からか青く見える。 甲子園あたりの道を歩いていると非常に高い山にも見えることがある。 この写真は西宮神社からも近いビルの最上階から撮っているので、それほど高くも見えない。

 


手前に見える緑が夙川、その向こうに西宮から芦屋にかけての山が見える。正面が苦楽園、左に芦屋市六麓荘、右に目神山と山麓住宅地が連なる。ひと山越えると芦屋市奥池の住宅地や芦屋カンツリーがある高原地帯があり、その向うに六甲最高峰が見える。これを越えると有馬温泉。

 

御堂筋の北端にある阪急は巨大なビルになっている。

 

下のほうは、かつての阪急百貨店の形をいくらか残している。

 

これからは阪神百貨店の改装も進み、大阪駅南側の風景も変わっていく。

 

インドネシアとタイ 両方の料理をこなす熱帯食堂。

高槻店は繁華街のビル3F・4Fを占領している。料理人の数は10人前後。これは、枚方店も含めての数と思われる。 ほとんど日本語をしゃべれないひともいる模様。こちら、シェフ紹介のページ

シェフの日本語率の低さは、現地味率の高さでもある。京都・大阪間で途中下車してでも食べたい気がする。

かたくなに現地の味を守るだけではなくフュージョンにも積極的。数量限定でカオソーイうどん。ココナツ味の濃厚スープに、うどんの麺をかけあわせたもの。



熱帯産のビール各種。シンハービールは生でも飲める。水も趣のある器に入って出てくる。



スイーツ おすすめはカボチャのカスタード・プディング。fhakthong sangkhayaa ファクトン・サンカヤー。これも濃厚なココナツ味。原型はカボチャをくりぬいて中にカスタードをいれて蒸しあげる。激動の人生を歩んだ日系人女性 ターオ・トーンキープマー ท้าวทองกีบม้า(日欧印の家系が混じる)が数百年前、アユタヤの宮廷料理に取り入れた洋菓子の技法にもとづいている。


天女様 メイファーと呼ばれたタイ王族がいる。9世王の母、シーナカリン王太后。庶民から王室に入り、国民の敬愛を集めたのは、彼女が最初である。

北部の山岳少数民族を愛し、最後には彼らの住むドイトン山に離宮まで作ってしまった。離宮のあるメイファールアン郡(チェンライ県)は、彼女の名前にちなんでいる。

地域は、ケシ栽培とアヘン密造の巣窟であった。 タイ王室はコーヒー豆の栽培を薦め、アヘンに依存する経済を転換しようとした。これはドイトン・プロジェクトと呼ばれ、画期的な成果をおさめた。

王自身がアラビカ種のコーヒーの苗木を配って歩いたといわれている。もらった人々は王様からもらった木だと大事にし、品質のよい豆が生産されるようになった。

今では、チェンライ県の高地は優良コーヒー豆の産地になっている。評判のよい村の豆は、入手困難。



写真はコーヒー栽培に従事する山岳民族 アカ族。


シーナカリン王大后は尊称、Somdet Phra Srinagarindra Boromarajajonani の訳。実名は Sangwan Talaphat それで、ソンワーン皇太后と記す資料もある。愛称は Somdet Ya ソムデット ヤー お祖母様。

九世王は、ラーマ九世の略。バンコク王朝 9代目国王。大王の称号を持つのは5世王と9世王だけである。シャム族以外のタイ国民からも絶大な支持を集める。日本では、おおむね実名でプミポン王と呼ばれる。「プミ」は「踏みしめる大地」を意味し、「ポン」は「ちから」。大地力王。
雲南タイ族の花といえば攀枝花 バンジーホア。

「木綿」の字には、読み方が三つある。「もめん」と読むとコットン(綿織物)、「ゆう」ならば、日本古来の様々な繊維、「きわた」というと鮮やかな緋色の花をつける木(攀枝花)の実から取れる繊維を指す。

攀枝花は台湾から大陸沿岸部、さらには雲南にかけての、いわゆる百越の地の人々にとって、梅の花にもまさる、心の花らしい。広州、潮州、高雄、金門島などが、それぞれの市や県の紋章として採用している。


wikipedia

早春、葉が出る前に空高く伸びた枝一面に花をつける。



キワタは亜熱帯の暑さをしのぐ優秀な繊維だった。布にすると雪よりも白く汚れを寄せつけない清浄さがあったという。「春すぎて夏来たるらし白妙の衣干したり天の香具山」に出てくる白妙(しろたえ)の衣(ころも)のイメージだろうか。

商品として流通したものでは、雲南で産した桐華布が有名。

有梧桐木, 其華柔如絲, 民績以為布, 幅廣五尺以還, 潔白不受污, 俗名曰桐華布

「潔白にして、汚れを受けず」とある。

四川省南端に攀枝花を市名として採用した市がある。中国南方航空の尾翼に描かれた花も攀枝花だという。



ここでは攀枝花(バンジーホア)という呼称を使ってきたが、これは雲南語らしい。北京語では木綿樹といい、華南では英雄樹とも呼ばれる。樹形具陽剛之美 樹形は陽気・剛毅の美を具える。
めずらしい人物画をwikipediaで見つけた。14世紀の雲南タイ族の王 ソ ハーンファ (1340 - 1371) 。 フビライの侵攻で一時的に滅びていたタイ族の王国を復興した英雄。「ソ」はタイ系の言葉で虎を意味し、「ファ」は空なので、王の名前は「空を飛ぶ虎」だろうか。タイ語の綴りでTRは「ソ」と発音されたり「トーラ」と発音されたりする。



王国の名は モンマウ または ムンマオ(英文)。勐卯の字を当てる。インド風の呼び名はコーサンビー(果占璧)王国。 中国からは麓川と呼ばれた。ウィキによると、この国は西暦560年に建国し、1604年に滅びたという。雲南にも千年王国があったのだ。

この地方のタイ族の国としてはシーサンパンナが有名だが、モンマウのほうが歴史も古く版図も広大で、現在の中国、ミャンマー、インドのタイ族居住地域にまたがっていた。 明王朝の雲南併呑に際して、象軍を繰り出して、最後まで執拗に抵抗したのが虎の化身とも称したモンマウ王家であった。

明は中国の南半分の総力をあげ、モンマウを攻撃すること3度、7年を費やして、ようやく王国を滅亡に導いた (三征麓川) 元による滅亡からは復興したモンマウ王国だが、大量の漢族を入植させる手法には数で圧倒されてしまったようである。

王国の民は德宏傣族自治州に残る。

ソ ハーンファ王を中国では死可伐と記した。のち思可法と書くようになる。雲南では思翰法と表記された。

ムンマオの「ムン」は現代のタイ語のムアン(国)。ムンマオはマオ国を意味する。エーヤワディー(イラワジ)川の最上流 瑞麗江(ナムマオ)のほとりにある。 マオは濛々たる霧を意味するらしい。 漢字では「銀雲瑞霧」という枕詞がムンマオにかかる。タイ語で書かれた古事記のような年代記が残されていて漢訳が出版されているが入手は困難。その書き出しは「ちぎれ雲飛び、霧立ち込める麗しの土地、名望高きコーサンビー王国」ではじまるらしい。 「大和し 麗し」と歌われた国誉めの歌と共通するものがある。


明治維新のおよそ百年前、1765年から1769年年にかけて最盛期にあった中国清王朝は4回にわたりミャンマーに侵攻した。最初の三回は遠征軍が全滅する完敗の繰り返し、最後の侵攻でも中国軍は敗北して皇帝の撤退命令を受け、目の前のミャンマー軍と和睦して撤退した。和睦していなければミャンマー軍の追撃をうけて全滅していたであろう。その後、中国は和睦をもってミャンマーが朝貢国になったとみなし、この戦役について勝利宣言をする。

この間、1767年、ミャンマー軍はタイ王国にも侵攻し、400年にわたってタイに君臨してきたアユタヤ王朝を滅ぼしている。首都アユタヤの宮殿や大寺院の数々は灰燼に帰し、二度と復興することはなかった。

18世紀のミャンマーは東南アジア大陸部の覇権国だったのである。

しかし中国との戦争による消耗は激しく、タイ族諸侯の蜂起を鎮圧することはできなくなる。タイでは、ほぼアユタヤの旧領を安定的に継承するラタナコーシン朝が1782年にバンコクを首都として成立し、現国王はその九代目にあたる。

そしてタイ王国が領土を西洋列強に削られつつも独立を維持したのに対して、ミャンマーは英領となってしまう。