⑤入院中 | まみの両胸乳がん日記

まみの両胸乳がん日記

2015年に乳がん陽性が出ました。
両胸・全摘・インプラント再建済み。化学療法EC+TC半年間。ステージ2B.リンパ節転移3個,郭清レベル1。
6年間、定期的にマンモとエコーで4ヶ月毎に検査をしていても、中期になるまで陽性が出なかった不運。

入院は、予定通りきっかり2週間でした。

手術翌日の夕方までは麻酔が残って携帯も本も見る気力もなく、病室の人や来てくれた家族の話にあいづちをする、その首を振って頷く動きすら頭がガンガンしてキツかった。
前のベッドのおばさんに「そんな暗い顔しなさんな」と言われたけど、心の中で「違うの!麻酔で気持ち悪いだけ!これは精神的な暗い顔じゃないんです。」と訴えてました。

実際、想像よりも良くない結果ではあったけれど、とにかくこの時点でわかって、手術で全摘したのだから。
あとは治療して、前に進むだけ!
と、本気で前向きで、むしろ晴れやかなくらいだった。(今もです!)

回復も良くて、入院患者として優等生だったと思います。
手術の翌々日からは、どんどん元気になりました!食事も全部食べて、2キロくらい太ったような。
「寝てばかりで、退院したら足腰が弱ると悪いから」と、午前と午後に病院中を歩き回りました。
階段室を1〜12階まで。午前午後と1セットずつ。
途中本が沢山置いてある図書コーナーに寄ったり、最上階のレストラン辺りから外の景色を眺めたり。玄関エントランスから出て外の風に吹かれたり。
そんな院内散歩ばかりしていたので、形成外科の先生の回診の時にベッド不在で、院内放送で呼ばれたこともありました。

入院病棟の看護師さん達は、みんな明るくて優しい。東京ディズニーランドくらい、皆がみんな素晴らしい対応でした。
看護師さんて、すごいよ。ありがとうございました。

病室は、4人部屋。
個室を選ぶこともできましたが、こんな時だから誰かと話して笑って、気を紛らわせるようにしたかった。
だから大部屋を希望しました。
これは私には正解だった。
色んな方々に出会えたからです。

乳がん手術を9年前に経験された、58歳の方。(今回は足の腫れで入院してた)
腕の骨折や、大腿骨の骨折予防手術のおばあちゃん2人。
このおばあちゃん達、ほんと~~~に可愛いおばあちゃん達でした。
お嫁さんのことを「私は、息子よりも好き♡」と真面目な顔で断言していたのが印象深かった。
そんなこと、あるんだぁ~!と、目から鱗状態。そしてとても微笑ましくて。私もそんなおばあちゃんになりたい。
もう一人のおばあちゃんも、お孫さんからもらった可愛い猫耳のヘッドホンをつけてテレビを見ていて。お嫁さんが私と同じ歳くらいなので、私のことまで心配してくれてました。

数日したら、みんな退院して患者さんが入れ替わりました。
今度は9年前に乳がんした、今回は胃腸の内視鏡手術をした方。きっと50代後半。内視鏡なのに術後の痛みがずっと続いて辛そうでした。2週間も点滴だけで、食べ物は食べてないそうで。随分痩せてしまったと。
でも、少しずつ回復して、少しずつお話もできるようになりました。ずっと辛そうな表情だったけれど、やっぱり笑顔はいいね!美人な方でした。
退院後に化学療法室で、偶然再会しました。

化学療法の為の、初回短期入院の人達とも同じ病室になりました。
初発で2つ目の薬で、頭髪は既に脱毛済、禿頭の方。私より歳下に見えた。面白い人だったなあ。
同じく化学療法中の、子宮がんのおばあちゃんと、婦人科の先生がイケメンだとか話して笑ってた。

他にも、再発して末期と思われる方も2人出会いました。
30歳くらいで、初発は20代後半だったという、とても可愛い人。
もう一人の方は50歳前後、娘さんが就活中。
「末期でも、乳がんはそんなに痩せないし、結構元気に見えるんだよね~。カツラかぶると若く見えるし。私は何年も末期癌やってる」と明るく笑って話していました。
いつもニコニコしているその方と裏腹に、旦那さんの表情は本当にいつも暗かったのですが…

4人部屋の病室で、沢山の様々な病気や治療中の人にお会いできました。みんな良い方ばかりで、良い経験でした。

その頃はまだスマホを持っていなくて、自分の記録はノートに日記のように付けていました。
病院内を散歩したり、洗髪,シャワーしたり、ごはんを食べる。図書コーナーや展望台でなごむ。本はガッツリ読めなかったけど、漫画を読んだりして。ほんと後半は元気だったな。

今振り返っても、すごく、すごーく、快適な入院生活でした。


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