9月中旬
母と会津、東山温泉。
その5(全6記事)
2日目の各所見学。
武家屋敷から周遊バス移動。
※全体図撮り損ね。
描いたが描ききれぬ…
矢印は巡った順路。
中央の階段で上まで登れるが、
動く坂道(スロープコンベア)を利用。
大人250円
(途中1回乗り継ぎ有り)
全部は載せきれないので抜粋。
(正面)白虎隊士の墓
飯盛山で自刃した19名。
16~17歳の会津藩士の子息達。
(左)所属に関わらず戦死した
14~17歳の少年武士62名の慰霊碑。
(右)の方、写っていないが、
領内で戦死した31名の墓。
墓石に年齢も刻まれている…
線香を手向けた。(無人販売有り)
自刃の地
少し階段を下るが見晴らし良い。
ここから遠くに上がる煙を
鶴ヶ城が落ちたと見誤り自刃。
市中の火災を見て
会津の負けを悟ったとの説も。
像の囲い後側に失礼して…
同じ角度を眺めてみたが
肉眼では城は分からなかった。
あとで調べたら矢印の所だった。
迷惑になるくらいなら潔く…
(↑前記事の西郷家)
生き恥を晒すより潔く…
こんな事を10代の若者が
決意しなければならなかった
戊辰戦争とは…。
結局、外圧によって起こされた
クーデターではないのか
うまく立ち回った側が現代に至る。
戦いに関係なさそうでも
新・お札の顔になるのは複雑な気持ち…。
「こちらでは最近の戦争と言えば
太平洋ではなく戊辰戦争」
福島のお坊さんの言葉を思い出す。
傷の根深い事が伺える
山を下って行く
宇賀神堂
17世紀後半創建
弁財天を祀る。
白虎隊士19人の霊像を安置。
稲荷大明神
さざえ堂
内部拝観
8:15~17:00
大人400円
寛政8年(1796年)建立
国重要文化財
以前は西国三十三缶観音像が祀られ
塔を一巡する事で、西国巡礼と
同じご利益が得られるとされた。
六角三層の二重螺旋構造。
上り下りで人とすれ違わない。
目が回りそう~
さらに下って…
厳島神社
1381~1383年創建
霊妃のお告げで地域豪族3家が造営。
造営中、霊妃が従えていた童女達が
振舞った小豆ご飯が食べても減らず
当時の地名「飯盛」となった説有り。
すぐ横
中央に戸ノ口堰洞穴
猪苗代湖から会津地方へ水を引く。
白虎隊士達はこの洞穴を通って
飯盛山に辿り着いた。
(左)水神社
白虎隊記念館
火・休(祝日は開館)
9:00~16:00(入館~15:30)
大人400円
館内撮影禁止。
戊辰戦争関連史料,遺品1万2千点。
私設の資料館。
18~35歳の朱雀隊
36~49歳の青龍隊
50~56歳の玄武隊も存在し、
16,17歳の白虎隊343名は予備隊だった。
(ちなみに二本松少年隊はより若く13~17歳)
白虎隊 日向内記-ひなたたいき-隊長は
飯盛山から離脱している間に
白虎隊士19名の自刃の事態となり
逃亡等と悪く描写される事が多いが、
指揮官に会う為など命があった説が
今は有力になってきている。
【義に死すとも不義には生きず】の
誇り高き会津藩士が逃亡とは
たしかに考えにくい
しかしそもそも義を通したのに
いつの間にか朝敵扱いされ
戊辰戦争で会津の死者約3000名…
悲劇としか言いようがなく
どのように鎮魂を願えばよいやら
参照
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山を下り参道には
飲食店やお土産屋など。
母は本気レトロ苦手だが
私は福島の桃を食べたくて、
1つ剥いていただいた。
昼食
観光センターイガラシの食堂。
(駐車場とお土産屋併設)
喜多方ラーメン750円
母、ざる蕎麦950円
お店は母苦手系、しかも冷房無し。
暑さ堪える母は冷房のある店を所望。
だが店数も少なく
満員だったり休みだったりで…
窓開いてるし私は構わないのだが。
少し移動すれば飲食店増えるけど
周遊バスがなかなか来なかった。
(前記事で書いた通り)
かなりの待ちぼうけを食らった。
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