10月初めの旅、つづきです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

岳温泉の2泊が終了。

名残惜しい、良い湯だった。

 

3日目、帰る日。

宿の送迎で二本松駅へ。

 

 

新幹線は午後なので

それまで二本松城跡を見学。

 

城跡までのバスは無い。

レンタサイクルも考えたが

返却したい時間に、貸出所が昼休みタラー

下矢印

タクシーで

一番上の駐車場まで。

 

 

そして徒歩で少し上れば本丸跡。

平成3年発掘・修復。
 
 
石垣は時代を経て
2重になっていると判明。
 
 
天守台からの眺め。
 
 
歴代の城主も眺めたか。
 
 
傍らに供養碑がある。
(碑は載せませんが)

戊辰戦争で二本松城は落城。

凄まじい切腹の仕方…。

 

 

本丸から下りて行く。

(網?で保護されてますが)

二本松城で最も古い石垣の1つ。

古式「穴太積み」

 

 

石積み技能者集団が居たとの事。

 

 

さらに下って行く。

 

今も湧水を溜めている

「日影の井戸」

 

 

館と館の連絡通路。

ずいぶん細道。

 

 

また供養碑がある。

戊辰戦争…

二本松藩の戦死者337名。

主戦論者3名が責任を取り切腹…。

 

 

道は歩きやすい。

 
「るり池」
 
 

茸?びっくり

 

 

「布袋滝」

 

 

水が豊富。

 

 

だいぶ下に降りてきた所で

菊の展示。

 

 

菊花展」開催中だった。

もっとたくさん並んでいたけど、

まだ咲いていなかったので省略。

 

規模縮小の為、

菊人形はほとんど無く?

品評会メインだった模様。

(有料エリアは見ておらず詳細未確認)

 

 

だいぶ歩いた。

昭和に増設の滝前で一休み。

良い雰囲気。

 

 

「相生の滝」

自然地形を利用して作られた。

 

江戸時代から安達太良山の水を引き

城内・城下の用水に利用していた。

 

 

出入口付近には赤松の古木群。

樹齢350年超えも。

 

 

 

 

 

箕輪門(正門)

昭和57年復元。

 

×は二本松藩の家紋

「 直違紋(すじかいもん)

 

 

そもそも江戸初期に造成の城門。

(当時の)十万石大名の威容を示す。

 

 

二本松少年隊の像。

(当時、隊名は無い)

戊辰戦争で13~17歳の少年が出陣。

14名戦死。

 

生き残った少年の回顧談の一部。

藩の為に戦うは、武士の子として当然

(二本松市発行のパンフレットより)

 

…胸が痛くなる。

戊辰戦争関連、読み直したい。

 

 

技術の結晶を目の当たりにし、

散策路としても素晴らしい

二本松城(霞ヶ城)跡だった。

 

 

つづく

 

 

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