小学生の時に社会科の教科書のほかに地図帳があって、私はそれを見るのが異常なほど好きだった。旅行が好きで機上旅行をしていた訳でもなく、寧ろ旅行はあまり好きではないし、外国に興味があった訳でもない。ただ単に兎に角地図を見るのが好きだった。その後の人生にはあまり役だっていないが、素で日本地図を描くことができ先生にも褒められた。今でもマップアプリは大好きで何か気になったものがあるとすぐにマップアプリでその場所を調べる。ただ、その場所に行くことはあまり無い。

 これまで生きてきた中でオリンピックではいろいろなことが起きた。'72年のミュンヘン大会ではテロが起きたくさんの犠牲者が出たし、'80年のモスクワ大会ではそれまで無縁だった政治介入があり西側諸国のボイコットが起きた。これにより優勝が間違いないと言われ絶頂期にあった瀬古利彦は出場機会を失い、その後華やかなシーンから消えた。柔道の山下泰裕もその後不要な苦労をした。

 また、アマチュアスポーツの祭典だったオリンピックにプロフェショナルの参加が認められた'84年のロスアンゼルス大会。この大会までIOCは経済的に窮地に立たされていたがロスの大会委員長のピーター・ユベロスにより商業主義的な大会に変わり、その後IOCは経済的に潤沢になりあらゆる面で力を増大にしたことは皆さんご存知の通りだ。経済面で強力に支えたのがNBCからの放映権料であり、その副作用として開催時期がアメリカメジャースポーツの時期と被らないように真夏に開催されることになった。

 その中、私の記憶に最も残っているのは何故か'76年のモントリオール大会だ。この大会で男子100mで本命のソ連のボルゾフを3位に追いやり、優勝したのがクロフォードだった。このとき初めて「トリニダード・トバゴ」という国があるのを知った。あれほど具に地図帳を見ていたのに知らない国がまだあったことに愕然とした。そんなことがあったオリンピックだが今年開催の東京大会が新型コロナウイルスのせいで開催が危ぶまれていて、更にここに来て、トランプがとうとう東京オリンピックを1年延期したほうがいいのでは、と言い出し、それも現実味が大きくなってしまった。

 それにしてもこんなにケチのついたオリンピックってこれまであっただろうか。思い出せるだけでも、新国立競技場のデザイン、エンブレム、猛暑、マラソン札幌変更、お台場の水質問題、コストの増大、お・も・て・な・しの方のイメージ崩壊、等々。何か起きるたびに神様から止めとけ、と言われているような気がしていた。まぁ予定通り出来たらそれはそれで楽しいのでしょけど。



 1年ほど前まではほぼ関心がなかった東京オリンピックだったが、あることをきっかけにスポーツの祭典だと思っていたオリンピックに文化的事業もあることを知り、そこから芸術・アートに違う視点で興味が膨らみ、オリンピックもそれであればあっても良いかなと思い始めた。

 前回のリオデジャネイロ大会でどんな文化的事業が行われて、どんなアート作品が世に出たのか知っている人はどのくらいいるだろうか。前回大会だではない。それ以前も毎回文化的事業があってはずなのにその何かを知っている人はどのくらいいるだろうか。

 誤解を恐れず言うが、東京大会が中止や延期になっても文化的事業がほとんどの人の生活にはほぼ影響が無い。関係者の皆さんは大変だと思うが。

文化的事業とはそう言うものだ。あれば間違いなく生活を豊かにするが、有事には優先順位が下がる。仮に中止になれば関係者との契約もそこまでで終わり、契約上何の補償もないだろう。

 オリンピックがスポーツの祭典だけであれば、毎回アテネで開催し、施設も箱物も毎回同じものを使うことで費用もかなり抑えられるし、放映権に縛られることもなくなるだろう。しかし、文化的事業はその時代に様々の地域発信することはとても重要なことで、もしかしたらそれがすべてかもしれない。





 同じアーティストでも今年の夏に発信する作品と1年後に発信する作品では大きく違うだろう。そういう意味で東京オリンピックが中止、延期がされても文化的事業は別の形ででも実施して欲しいと思っている。私自身もそれまでこのテンションを保ち続けることができるか心配なのである。

 皮肉にも今、瀬古利彦は東京オリンピックのマラソン強化戦略プロジェクトリーダーで、山下泰裕はJOC会長だ。