おはようございます。りょうきです。
神棚の話、千秋楽。
仏壇もそうですが、要するに神様おままごとの要諦は何なのか。
結局ね、「心を込めておもてなしする」なんですよ。
できる範囲でいいんです。その代わり気持ちが入っていないと意味がない。
例えばね、ある方の場合。
毎朝仏壇にお水を供えるそうですが、夏ならできるだけ冷たい水を。
冬なら、湯気の上がる状態で供えるそうです。
こういうのを、気持ちが入っているというか、心を込めるというんでしょうね。
つまり、「そこに本当にいるものとして扱う」っていうか。
本当にそこにどなたかおられるように、こちらとしては振舞う。
これが、神棚や仏壇のお世話で一番大切なこと。
そしてもう一つ、同じくらい大切なことがあります。
神棚のお世話で、最も気持ち良くあるべきは、神様でなくてあなたです。
矛盾するようだけど、もてなすあなたが、一番気持ち良くないといけない。
神棚とか仏壇とか、作法だらけといえば確かに作法だらけです。
しかし神職や僧侶でもないなら、作法の全てに則るのは現実的ではありません。
一番いけないのは、「神棚や仏壇に振り回される」ことですね。
こうじゃないから神様はお怒りだろうかとか、考え出すとキリがない。
こうじゃないといけないのかなとか、こういう場合はどうしたらいいのだろうとか、もう無限に考え始めるんですよ。
そこに例えば霊能者とかに相談したら、「こうしなさい」と言われたりする。
それがあなたに合っていればいいけれど、いまいち腑に落ちないこともあります。
それを腑に落ちないまま、違和感を抱えて神棚のお世話を続けるのも、ちょっと。
そうなると、せっかく自身に福をもたらしてくれる存在であるはずの神棚や仏壇が、自身を拘束する存在になってしまうでしょう。
つまりその人は、神棚や仏壇のために生きることになってしまう。
これを言い換えれば、悪い意味で神棚や仏壇を中心に生活が回ることになるわけで、これをさらに言い換えれば、その人は神棚や仏壇に振り回されて生きているわけです。
これが最も良くない。
ご自身が気持ち良くお世話できるのが大切、というのには、根拠があります。
神道でいう「わけみたま」という考え方です。
つまり、「誰でも心の中に神様の分身を宿している」というね。
ということは、神棚やらをお世話する過程で、あなたの心が良しとしたならば。
それはつまり、あなたの中に宿る神が良しとしたことになります。
だから、あなたが「良し」とすることは、神のお墨付きで「良し」です。
乱暴な論理かもしれませんが、実際にそうだと思いますよ。
それが証拠に、神棚の作法とかは霊能者ごとに言うことが違う。
霊能者でなくとも、神道や仏教の中でさえ宗派ごとに違う。
いつぞやの英語の話、単語集みたいなもんでしょうね。
結局、唯一絶対のものは、今のところないんです。
単語の覚え方は人それぞれ違い、たまたまそのうち一人が英語の先生になって、自身の覚え方を教壇で話しているにすぎない。
その覚え方が誰かにとって真理であっても、別な誰かにも真理とは限らない。
ある先生はこう言ったけど、別な先生に聞いたら違うメソッドだった。
結局どの先生が真理なんだ、と聞きまわっていると、何のために英語を勉強しているのかわからなくなるじゃないですか。
自分のオリジナルというか、ポイントを押さえた上で自分で考え、工夫する方がよほどいい。
だからね、細かいお世話の次第については、不明な点はご自身の心に聞くのが一番です。
これも試行錯誤なんです。いろいろ試して、自分が最も腑に落ちるのを探る。
本当にいけないなら、必ず上から「それはダメ」があります。
だから極端なブロックでもされてない限り、あなたはそれで間違っていません。
私の住まいの神棚のお世話に関しても、今のところそういうことはありません。
ということで、神棚には今後も引き続きミルクティーが乗っております(笑)。
来週は、「今年の運勢」みたいなのを書きましょうか。
私も、自分の今年の流れは気になりますので(笑)。
良き週末をどうぞ(^^)