2021/12/12 | ぱんだ一家と、ママの病気のお話

ぱんだ一家と、ママの病気のお話

3人の子供達がいます。
3番目出産でとんでもない事に。
家族といられる幸せをかんじなから、闘病生活送っています。下垂体前葉機能低下症 対麻痺の後遺症あり。

ブログには、子供達それぞれの事、私の事がかいてあります。

母の病状があまりよくありません。


というか、非常に悪い。



私は今まで、何をしていたんだろう。



ここ半年で母はやつれ、


母の元気がなくなり、どこか上の空な毎日。


あんなに活発で、よく食べよく笑い、

よくケンカしていた母が

寝ていることが多くなっていた。




あの時、引きずってでも病院へいけばよかった。







母が、


『あんたの言う通り、もっと早く病院へ行けば良かった』と言っていた。






先生は、私に

『今は医療知識のない方でも、すぐにステージはどのくらいですか?私は末期ですか?と聞いてこられます。その時はどうしますか?』


と聞かれた。

私は、振り絞るように、先生を睨みつけるように、涙がでないように


『母には、深刻なこの現状を今は伝えないで欲しい。今言うべき時じゃないんです。お願いします。治療が始まれば、その都度母の気持ちも含めて話をすればいい。今は面会も出来ないし、怖くて不安で、そんな中検査ばかりしているんです。母にとってマイナスな発言はしたくない。』



早口で、先生に向けて言った。




先生は、


『わかりました。僕もその意見には賛成します。検査や処置に今は集中してもらいましょう』



と言ってくれた。




私の頭は爆発しそうだ。



父は悲しそうに


『なんで自覚症状があったのに、もっと早く行かなかったんだろう』





そう繰り返すばかり。

先生に頭を下げ、


『先生のおっしゃる通りにお願いしよう』


と私を見てきた。



私はなかなか、返事ができずうなずく事ができずにいた。




ただただ、母と別れたくないし、

もっともっといろんなところに行きたい。

母に依存して生活してきたこの15年。

いつも隣にいたのに、

信じられなくて、発狂しそうだよ。





もうすぐ誕生日だから、


家族全員でメッセージ書いたよ。


手作りのブレスレットやお守りも作ったよ。



紫で埋めつくしたプレゼント。






おばあちゃんの写真に何度もお願いした。


『おばあちゃん、お願い。お母さんを連れて行かないで。おばあちゃんが遺言で私の面倒を見てあげなさい。あの子を悲しませるなって言ったんでしょ!連れて行かないで、お願い。』







私は、突然発作的に出そうになる涙をこらえて

何もなかったように日常生活を送る。





そのうち、崩壊する