エンディングノートと共に… | フォゲットミーノットのブログ

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「汚れなき笑顔のために」


キレイゴトで世の中は渡っていけない。


僕は生まれたときから曲がったことが嫌いでした。
物心つく前からそうだったみたいです。
親父が田んぼに捨てた吸殻も、靴を脱いで拾いに行ったそうです。



食うためには、妥協していかなければいけない。
嘘をついていかないと、とてもじゃないけど回らない。
力あるものに媚びないと、世の中から弾き飛ばされる。
20代初頭、この概念に押しつぶされそうにもなりました。
地獄で全ての細胞が灼かれるような思いも沢山してきました。
悪党に飲まれたら死ぬ、その気持ちだけでした。



お世話になった人達、親切をしてくれた人達。
この頑固者を見守ってくれた人達、いまも見守ってくれる人達。



その人達の笑顔と誇りに繋がるような人間でいたい。
子供が真っすぐな夢を描けるように。
女性が真っすぐな夢を描けるように。
男が紛いのない誇りを持てるように。



地獄のような思いをしなくても、皆がキレイに生きられるように。
悪党どもを騙してでも、世の不公平を減らしていきたいと思います。



エンターテイメントやマネーゲームは、いいかげんもういいでしょう。
ありもしないあの世を謳う教えや、洗脳セミナーなんかも必要ない。



目が覚めるような、リアルな夢を皆で共有したい。
屈託のない笑顔を、悪党だらけの世間にまみれさせたくない。



悪党を上回る修羅として、一つ一つをほふっていきたい。
鬼となって、キレイゴトを守っていきたいと思います。



思えば、ゆったり自分のことを考える時間もなかった。



そのうち、大切に思える人達と静かで穏やかな暮らしが出来ればいい。


ひとりの男として、そう思います。




「いつでも死ねるよう」


大切なものを、きちんと大切に出来ているか。


どうでもいいことは、そのまま捨て置くようにしているか。


ありふれた一人の男として、なるだけ真っ当にいたいと願う。


どこを切り取っても、同じ濃度の血が流れる男でいたいと思う。


俺を知る人達に、いつも胸を張っていられるように。

身近な人に、いつも真っ直ぐな感謝を抱いていられるように。





「今すぐに!」


「早く行動する」ってことは真理だと思っている。
なぜなら俺たちは有限の命だから。


辿り着きたい未来へ、もしあんたがいつまでも生きてられると信じているのなら、のんびり向かえばいい。でも俺は明日生きてる保証なんてないと思っている。だったらやりたいことがあるなら、まず期日を決めることが何よりも大事。
期限を決めなきゃ今することがはっきりとは見えてこない。



マラソンだって何キロ走るかを決めないと、ペース配分もできんやろ。
そして期日を決めたなら今すぐに動け!
まさに今すぐだ!


速度=想いの強さ
夢や目標があるならば、それをどれだけ本気で叶えたいと思ってるのか。



俺たちが有限の生命である以上、急ぐ理由は確実にあるんだよ。
志半ばで死んじまったらあんたは満足か?
俺は嫌だ。



せめて俺は、この国が変わって行く可能性を実感してから死んでいきたい。



俺のやろうとしてることは大事な人を究極の極論で大事にしていくこと。
もはやそれはエゴと言ってもいい。
でもこのエゴは、必ずその相手の幸せにも繋がっていくと何度も実感してきた。



だから俺はこれを続けていく。
大事とは「おおごと」の意。
上限なんてない。
相手の人生にさらに深く深く踏み込んでいく。
もはや土足で上がり込むとかそんなレベルじゃない。
上がりこんだら年中そこに泊まり込むぐらいのイメージだ。



理屈で話をしててもラチはあかん。
俺のやってることがどういうことかは、実際にやってみないと絶対に実感することはない。



これがどれだけ相手との魂の距離を近くすることに繋がるのか。



それを身を持って実感したときに初めて、このプロジェクトの壮大さが分かるはずだ。






私がこのブログを通して縁が繋がった、二人の方の過去の文章ですが、どちらも熱い!!
熱くて火傷しそうですが、なんらおかしいことでもなんでもなく、むしろ人として当たり前に真っ直ぐに真っ当に生きておられる方たちだと、直感に響いた方たちです。



感動した言霊をノートに書き留める癖があるのですが、「私が生きた時代に、こんな人がいたんやで!」
と、エンディングノートと共に次の代に渡そうかと思っています。



私自身に知識があるわけでも、文才があるわけでもないので、しょうもないブログ記事しか書けませんが、昔から「この人なんか違う…」と直感はよく働くのです。



自分が本物、真実、熱い血潮の人を求めているからかもわかりませんが、不思議とそういう方と縁があったり、繋がったりすることがたくさんありました。



理不尽な、不条理な、悪にまみれた世の中にあって、本質が見極められない無知無明、煩悩だらけの我欲の塊の凡夫が、地獄、餓鬼、畜生三悪道を歩いている中で、人の道を真っ直ぐ歩ける人が光輝いて見えます。