転んでもただでは起きぬ… | フォゲットミーノットのブログ

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今朝新聞配達中、まだ3軒目の家から走って戻る途中で、浅い水の流れていない溝というか段差になっているところに足を突っ込み、前のめりにドタっと転けてしまいました。



コンクリートで足を打ち、「アイタタっ…」と起き上がると、筋を捻ったのか角度によって背中が痛いのです。



いつもなら車から降りて家から家は走っているのですが、今日は最後まで走れませんでした。



これも普段謙虚さの欠けている私への諭しなんだろうな…と思いました。



将来こんな夢がある、何歳までに~をやって、何歳までに~になるという目標がある、食事をバランスよく気をつけている、有機無農薬、無添加の自然食品を取り寄せしている、運動をして鍛えている、予防医学を実践している、明るく朗らかにプラス思考でストレスを溜めないようにしている、自己管理を厳しくしている等々…

もちろんとても大事なことです。私も関心が多いにあった時期もありました。



しかしそれだけでなく、今朝の私のようにちょっとしたことや不注意やルールを守らなかったことで、又突然不意に、怪我をしたり、事故にあったり、打ち所が悪かったり、又病気がこじれたり、何で命を脅かされるかわかりません。


健康あればこそ、寿命あればこそ、徳があればこそ…何でも叶うことだと思いますね。
徳は積まなければ、日々使う一方です。



以前足を捻挫した時、足を固定して松葉杖を数日使いました。



40歳過ぎて腰椎のヘルニア、座骨神経痛も経験しました。


仰向けに寝て咳をすると腰の骨に響くので、うつ伏せに背中を丸めたモウの格好で少しずつ咳をしなければ、痛くて仕方ありませんでした。



動けなかったり痛みがあれば、それこそ何にもできない…。そういう時は、健康は当たり前にあるんじゃない、与えていただいているものなんだと感じます。



毎日普通に何事もなく過ぎていくことも、自分の力では無いはず…



感謝を忘れ、謙虚さを忘れ、傲慢に偉そうにお高くとまっていれば、時折痛い思いをする。



出過ぎていれば頭を叩かれる。



痛い思いをしなければ悟れない自分である。



実家の父からも時々、「お前はお高くとまっている。もっと素直にならんかむかっ」と言われますショック!



以前ある方の不思議な夢のお話を聞いたことがあります。



自分が病院のベッドで横たわっています。傍らには夫と子供たちがいて、「お母ちゃんが死んじゃった~」と悲しんでいる姿を、後ろの方から眺めている自分がいます。



場面が変わって、お寺みたいな広い建物の畳の部屋には、たくさんの紙切れが置いてあり、その紙切れには自分の名前と亡くなる日がかかれてあるそうです。



(自分の寿命はいったいいつなんだろう…?)


とお坊さんに探してもらって紙切れを見ると、3年前が寿命のつきる日になっていたそうです。



3年前…?



記憶では、自転車に乗っていて自動車とぶつかる事故があり、大怪我はしたが命に別状がなかった…ことを思い出されました。



もしかしたらあの事故で命を落としていたかもしれない。でも先祖の必死の力で怪我だけで済ませてもらったのかもしれない…



そのように思われたそうです。



私たちは一日一日何かに守られて、無事に過ごせていることを忘れず、一日の終わりには


「ご先祖さま、今日も一日無事に過ごさせていただきありがとうございました。」


と手を合わす気持ちになり、謙虚にならないとあかんということかもしれませんね。