マイナスがプラスに転ずる…③ | フォゲットミーノットのブログ

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今日姑と義弟と三人で、お昼ご飯を食べに行きました。



舅は朝からデイサービスに行って一日外出でしたので、出かけることができました。


舅は要介護5の認定を受けました。



訪問入浴、訪問看護、訪問リハビリと週2回のデイサービスを利用し、主に同居の姑と義弟の二人がお世話をしています。



昨年7月から1年の介護生活が過ぎて、姑が腰を患い、ひと月近く寝込みました。


姑も一応要介護3の認定をその時はいただきました。


その間、私も手伝いに行きましたが、主に義弟が二人の食事から洗濯から下の世話まですべてしてくれました。



姑の腰がましになって起きれるようになってからも、無理は出来ないので、義弟が洗濯と下の世話、その他家内の簡単な修繕なり、買い物、通院まですべてをしてくれています。



長い間引きこもりで親に心配をかけていましたが、今は罪滅ぼしや親孝行ができる時間を与えていただき、何とか間に合いました。
本当によくやっています。


夫に「たまの休みやけど、一度ぐらいお父さんの下の世話してあげたら?」



「いっつも弟に任せっぱなしなんやから、いつもすまんな~ぐらい言ってあげたら?」



と言うと、「わしは外で働いとるんやむかっ
とあまり気持ち良く返事しません。



(この人に言っても仕方ないわ…)



畑の土づくり、マルチ張り、畑周囲の猪、鹿の柵の設置、草刈りなどはちゃんとしてくれていますが…

(オムツ替えがいやなのかな…?)



(もうあんまり言わんとこ…、私ができることしたらいいわ)

と思いました。



今年の2月の義弟の誕生日に回転寿司のお寿司を持っていき、他のおかずや汁物を作りみんなで祝いました。



実に結婚以来23年で初めて家族揃ったみんなの前に出てきてくれたのです。



それ以後、一度普段のお世話のねぎらいも込めて私の行きつけの店に誘ったこともあります。



舅が三回目の入院中でした。
義弟もだいぶん病室に入れるようになった頃でしたか…、風邪が長引いて家で寝込んでいたので、



「生姜の入った洋風雑炊でも食べにいこか?」



と誘い、姑と義弟と三人でご飯食べました。
結婚以来初めての三人での外食でした。



それから今日は2回目の食事です。



お寿司が好きなので、回転寿司に連れて行きました。


初めてのタッチパネル…
始めは遠慮していましたが、だんだん馴れてきて次々注文して…、姑もいつになくたくさん食べていました。



それからちょっと遠出して、いろんな景色を見ながら神戸牛の精肉店で食材を買って…



帰宅するとまもなく、舅がデイから送ってもらって帰ってきました。



「今日はありがとうございました。美味しかったです。」



と言ってくれたので、



「いつもありがとうね!又月に一度ぐらいご飯食べに行こな!」



と言ったら、はにかんでニコッとしていました。



本来なら9つも年上なら敬語使うのですが、これでも一応兄嫁なので、
「タメ口や!」
と息子がいたら言われそうですが、おとなしいので私がペラペラとお構いなく喋っていたと思います。



舅の突然の病気、そして介護生活突入はマイナスかもしれませんが、



この親の一大事がなかったら、義弟もまだ引きこもっていたと思います。



「なんでこんなふびんな子産んだんやむかっ



と息子に言われ、それ以来親として何も言えなくなってしまった姑…



私も金欠病の中、食材を買って何度となく持っていった時に、



「〇〇ちゃんの食べるものもないねん!」



と姑から言われた時に、一瞬ムッときて、心の中で(働かざる者食うべからず…)と思ったこともありました。



いけずな義姉でした。
でも今は、これまでできなかった親孝行を、腰が痛い中一所懸命してくれている姿を見て、頭が下がります。



私は彼に何ができるかな?と考えながら、少しでもお役に立てるように、これからも接していきたいと思えるようにもなってきました。



舅には申し訳ないですが、不自由な身で晩年過ごさないといけなくなりましたが、義弟にとっては父親の病気がプラスに転じました。



私は半年前に舅が脳梗塞で亡くなる夢を見ていましたが、



親孝行できる時間を与えて下さったのも、先祖の計らいだと感じています。