いったい私って何者なん?(完) | フォゲットミーノットのブログ

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自分のルーツである先祖を調べていくうち、判ったことのひとつに、実家は子どもが短命であり、養子(跡取り)が短命であり、男の子が生まれにくい、育ちにくい、死に目に遭う…、そういった、家が代々続かない絶えてしまう因縁があるということでした。



私の祖母の前で絶えてしまっていたであろう家を、祖母が来てくれたお陰で、何とか続いております。



現在満103歳の祖母は、色々な苦労はしましたが、子供6人、孫15人、ひ孫29人に恵まれました。父の弟である叔父を逆縁で亡くしましたが、あとは健在です。



祖母には母親の実家を救うという大きな役目、使命があったんだと思います。



大阪に一人で住んでいた祖母ですが、(3人の叔母家族も近くにおりました。)
長男である父が同居を呼びかけ、70歳の時に私が中3の時に田舎に帰って来ました。



それまでは「大阪のおばあちゃん」と呼んでいましたが、正直苦手でした。都会の人やし、シャンシャンしているし、自分が育てた娘の孫と、嫁の孫、男と女、都会の子と田舎の子差別していけずなとこもありました。結構きつかったので好きになれませんでした。



でも今では、おばあちゃんに本当に感謝しています。一族始まって以来ここまで長生きできたのも、長生きできず亡くなったおじいちゃんや先祖たちからの寿命を一身に受けているのではないでしょうか。



おばあちゃんだけに限らず、自分に繋がる先祖の一人ひとりにそれぞれの人生があり、役目があり……
戸籍という一端から垣間見える出会ったことのない先祖の人生に思いを寄せると……



嫁に来て2年の間に次々と一家4人を亡くし、ひとりぼっちになられた幸せ薄かった先祖…



34歳で6人の子供を遺して亡くなった私のおじいちゃん…
同じ年昭和17年に祖父の実家の両親も亡くなっていました。親子3人同じ年に亡くなるのも因縁なんでしょうね…



おじいちゃん、どんな気持ちで逝ったんやろう?と思ったら泣けてきます。



私は三姉妹ですが、母の水子が五人過去帳に記載してありました。
八分の三の確率で生まれさせていただいた私たち。もしかしたら私も寿命がなかった子孫だったかもしれません。



十代、二十代さかのぼれば、百万の数の自分に繋がる先祖がおられると言われます。
自分の命は自分のものですが、父母、その父母と幾世代にもわたり、連綿と続いてきた命。
その命の炎が一度も途切れることなく続いてきたからこそ、自分という存在があります。
自分の身体の中には幾百万、幾千万という先祖の連綿たる命の炎が燃えています。



そんなことを思うと、奇跡の繰り返し、積み重ねで自分がこの世に生を受けたということが本当にわかります。



私は自分が満足している時…、例えば滅多にないですが、家族でステーキや回転寿司を食べに行ったり、創作玄米菜食など自分が好きなこだわりのひとりごはんを食べたり、エステ、マッサージをしてもらったり、好きな歌手のコンサートに行ったり、いろんな癒しをもらっている時、又尊敬できる人や、感動する本や音楽にめぐりあった時……



そんな時には、いつも先祖のことが思い浮かんでくるのです。
「先祖さんて、こんなご馳走食べたったことないよな~。

先祖さんて、こんな癒し経験したったことないよな~。

結構な今の時代に生まれさせてもらった私たちって、ほんま恵まれ過ぎやな~。
「足るを知る」……意識せななぁ。贅沢してたらあかんわ。

愚痴不平不満ばかり言って、人を批判してたら申し訳ない。バチ当たるよな~」と…………。



「いつもいつもこんな私を守って下さってありがとうございます。」

と感謝はしても、日頃先祖に手を合わすことも何にもせずに、いざ大変な時に、もしかの時の神頼み的にお願いする対象じゃない。


何にもいいことあれへんむかっって耳にすることありますが、
無事に生きてるやん!って言いたくなりますよね。



先祖ってどんな思いであの世におられるんやろ?
子孫が追善供養を回し向けなかったら、亡くなった時の状態があの世でも続くって聞きますが……



時代の平和と子孫たちの安穏と幸せを願い、その時代その時代に与えられた過酷な環境で、戦や病気や災害や貧乏や食糧難から必死に生き延びて下さった血の繋がった数々の先祖たち…。



「お前、頼むぞ~!
しっかり供養してくれよ~!
誰かの役に立つ人となれ!」
と、無言の声が聞こえてくるようです。



これまでは欲しいものがあって、したいことがあって、求めるばかりの人生でしたが、人生半ば近くになり(いえ、もうとっくに過ぎてるかも…)、そんなに物欲もないし、これからはいらないものは削ぎ落とし、悪い習慣や癖は改めて、自分みたいな者は、まだまだ向上心持って学ばないといけないし、自分に備わっている、与えられた体験や善いことは、子供たちや誰かに伝え、施していく人生やなと思っています。



地球環境的にも、人の心も恐怖の時代に生かされている私たちです。


今からは「心」がものをいう時代ですね。


ブログをされている方の職業や、プロフィール、記事を見てもわかりますが、職業人、職人、アスリート、アーティスト、芸能人など、プロの仕事をされる方は、そこに到るまでの陰の努力の継続があり、自分との戦いがあり、その結果今表舞台で世の為人の為に役立ち活躍する人もたくさんおられます。



そんな方ももちろん必要ですし、又名も無き人でも表舞台の方を陰で支える人、裏舞台の縁の下の力持ち的な人、田舎のお百姓さんや、陰徳を積む人も必要。



みんなが英知を出しあい、協力したり支え合って、それぞれの分野や立場の中で、人を喜ばせたり、後の世に生きる子供たちの為に、大人がよい手本となれるように、両輪でやっていくことが大事なんかなと思います…。



いくら夢や目標、目的があっても命あっての物種。



異常気象、地震、台風、洪水などの災害による国土の壊滅…これからますます加速すると思われます。



寿命あればこそ、健康あればこそ、ご守護あればこそ夢も叶うことですものね。


昔のことですが、私が新婚旅行(アメリカ・カナダ)に行く道中ですが、成田から発った飛行機が太平洋上空でエンジンから火を噴きました。ちょうど翼の横の座席だったので、オレンジの炎を目撃しました。トラブル発生とアナウンスがあり、成田まで引き返し別便でハワイ経由で再出発したという恐ろしい体験があります。
引き返しの機内では、生きたここちしなかったですよ~。
先祖が力を結集して、守って下さったんだと、今なら思えますね。



生と死は表裏一体、背中合わせであるといつも思っていますし、生まれた時に寿命も決まっていると言われます。
中学高校の同級生も知っているだけで、8人も亡くなっています。



どんな環境を与えられても、何が起きても、苦悩のすべては自分の前世、今世の生き方から招いた因果であるので、誰のせいでもなく、それが真実なんだと思います。



先祖から、
「お前頼むぞ!菩提を弔ってくれよ!」
「徳を積み、世の中に役立つように生きよ!」
と言われている気がします。



一人ひとりが先祖からの願いを一身に受け、世の中を良くするようにとの思いを託された私たち子孫は、先祖から見れば、

“希望の星”

なんですよね。



先祖供養!?
・興味ないわ~
・そんなん嫌いやわ~
・忙しいのに…そんな余計なことしとる間ないわ~

よく耳にする言葉です。



そんなものやないですよね。
震災を経験された方、九死に一生を得た方はわかると思います。



今の世の中見て、何が足らないか!?


人としての原点回帰に気づかなあかんときじゃないかなと思います。



又苦悩ゆえに自死を選んでしまう人、子供たち…
死んでも苦しみは続きます。死んではいけないんですよね。
年間三万人…悲し過ぎますむかっ



仏、先祖、親からいただいたこの身をどう使うか、生きた証として一族の後世に何を残すか、何ができるかわかりませんが、そう思って、今できることをしていきたいと思う今日この頃です。



長々とつたない記事、最後まで読んで下さり、ありがとうございます!