こんにちは。
ハーモニカ行政書士のナカミチです。
1か月前に、病気が判明し、
「長くはない」と告げられていた祖母が亡くなり、
無事に葬儀も終えることができました。
病気がわかった時点で、
手術などができる状態ではなく、
いかに本人の希望に沿った人生の最後を
過ごすことができるかに、
周囲の方々が尽力してくださった1ヶ月でした。
病気が判明してから2週間は、
検査したまま大きな病院に入院していましたが、
その後は、去年入居した老人ホームでの生活でした。
徐々に食事をしたり、話したり、座ったりが困難になっていく中で、
いつ危篤状態になってもおかしくない旨のことを
伝えられた日(亡くなる1週間前)に、
自分でできることが少ない中で、
「ハーモニカでも吹こうかな」と、
ハーモニカを持参してのお見舞いを始めました。
それは、4月に祖父母が入居している施設の食堂で
ボランティアでハーモニカ演奏したとき、
祖母が時に涙を流したりしながら、
僕の演奏を聴き、とても嬉しそうだったからです。
金曜・土曜と祖母の部屋で何十分も
ハーモニカを吹きました。
多くを語らない祖母でしたし、
あんまりベラベラしゃべれる状態でもありませんでしたが、
「何の曲が好き?」という僕の質問に、
「エーデルワイス」とはっきり答えました。
また、翌日には、
「鱒(シューベルト)」「トルコ行進曲」「子守り歌(シューベルト)」などと
答え、その辺の曲が好きなことは、
亡くなる直前まで一貫していて、ほんとに好きだったのだと思います。
エーデルワイスは、僕が持っている歌謡集にものっていたし、
難しくないのですぐに吹けましたが、
シューベルトの曲なんて正直タイトルすら知りませんでしたが、
ネットで調べ、翌日からは祖母の前で吹きました。
自分では起き上がれない状態でしたが、
祖母は、こっちらを向いて、元気な時は、
身を乗り出すような感じで、
聴いてくれました。
僕が提案したわけでもなく、
施設側の計らいで日曜日には、
もう最後の機会になるだろうからと、
急きょ、
4月にやったようなボランティアのコンサートを
開催していただきました。
すでに長時間車いすに乗っているのが困難な状態でしたが、
職員の方々のケアと、本人の努力もあり、
一番前の席で、30分弱、聴くことができました。
感情を表に出さない性格だった祖母が、
ずっと涙を流していました。
その二日後には、車いすに座っていることが
まったくできず、翌週の同じ時間帯は
葬儀だったことを考えると、
ほんとにこのような企画をできるギリギリのタイミングでした。
たくさんいる入居者の中で、
一人の入居者に対して、
これだけ配慮してくださる施設側の対応には、
感謝しかありません。
その後の数日間も、
行ける日は仕事に合間に(合間と言うより途中で切り上げて)、
祖母の部屋に行って、繰り返し、好きな曲を吹きました。
最期まで、何を吹いているかとか、わかっていましたし、
この曲が良いというリクエストも出し、
喜んでもらえました。
息を引き取る瞬間には、ギリギリ間に合いませんでしたが、
僕が吹いていた動画(デジカメ)を聴かせたら、
涙を流したと家族から聞かされました。
一応、伝わると良いなと思い、亡くなった後も部屋にいる間
何度か演奏しました。きっと届いていると思います。
祖母が、
クラシックなどの音楽が好きなことは知っていましたが、
最後の最後で、ほんとに好きなんだなと知りましたし、
ほんとに喜んでもらえて良かったなと思いました。
そして、手前みそながらハーモニカの持つ力のすごさを
感じましたし、
レベルの低い僕の言いわけになってしまうかもしれませんが、音楽は、
技術云々より
心だな、想いだなとあらためて思いました。
今回祖母を見送って思うのは、
悲しいから泣きそうと言うよりも、
施設の職員の方々・医師・看護師・親戚ほんとに多くの人が、
「本人の希望に沿った最期を」と
あらゆるリクエストにこたえ、尽力してくださったことへの
感激で泣きそうでした。
また、数年前に祖母にヒアリングしていた葬儀の希望の中で、
「皆が会える機会もなかなかないので、皆で食事をして色んな話をしてくれれば
いい。」という願いどおり、
来ないと思っていた遠方(海外も含む)からも親戚が集まり、
またお花や香典が届いたり。
去年別の病気で倒れ、入院→施設入所となってからのこの1年半全体を
通してもそうでしたが、やりとりをせざるを得ず、
今までバラバラだった家族や親せきが一緒に過ごす機会が増えた
1年半でもありました。
祖母が何か皆を引き合わせてくれているような気がします。
数年前に準備していた終活の通りに、
ほぼ祖母の希望の通りに葬儀を終えられて良かったです。
以前「家でぽっくり死ぬ」と言い、どこか孤独な面が強く、
人の世話ばかりで、あまり世話されることがなく無理して突っ張っていた感じの祖母でしたが、
最期は、これでもかというぐらい周囲の方々(特に施設)に
やさしくされ、お世話していただき、好きな曲を聴き、63年も連れ添った祖父にそばにいてもらい手を握り、亡くなる日の朝も好きだったアイスクリームを口にし、何名もの家族と施設職員に看取られ旅立っていったことは
ほんとに幸せだったんじゃないかなと思います。
叶えられなかったのは僕の結婚ぐらいかな(笑)
(それを願っていたらしいことは施設の方から聞いていました・・・)
今回、ハーモニカにしても仕事の面からも
多くのメッセージをもらった気がしています。
今回経験したこと・感じたことを活かしていくことで
また祖母にも喜んでもらえる気がするので、
ますます僕も頑張っていきたいなと思います。
あまりにプライベートなことなので書こうか迷いましたが、
ここで一区切りつけて前に進んで行くためにも書いてみました。