ナグです。
3日ぶりの更新になります。
こういった「心について」のことって、”寝かせる時間”というのも必要だったりします。
潜在意識は、情報が入ってきたとき、それをそのまま取り込んで、分解して再構築するというような動き方をするので、そのための”時間”を与えることって、結構大切なんですよね。
とはいえ、現実的に生活していると、「すぐに変化を感じたい」と思ってしまうのも仕方ないところですが。
前回の記事では、「答え合わせは後でする」ということについて、お話しました。
箇条書きでポイントを上げると・・・。
・私たちは「学校教育」の中で、”正解を出すこと”を叩き込まれてきた
・先に答えを教えてもらったら、本当の意味で”学び”にならない(体験が薄まる)
・先に答えを知ると、自分の考え方や感じ方、心が自分のまわりで起こることを
どう受け止めているのか?という部分を見ることなく、解決へと進んでしまう
・人生の仕組みと人間の考え方は逆になっている「be-do-have」の流れ
ということですね。
で、今日は「失敗」ということについて、ちょっと違った視点で考えてみましょう。というお話。
自分の行動って、必ずそれをやろうとする”動機”のようなものがあるんですね。そういう行動理由みたいなものがない行動って、やらないし、できないんですよ。
「なんで、そんなことしたの?」と、聞かれても、自分の意識では明確な理由が見つかりにくいこともありますが、単に反応しただけであったとしても、潜在意識的、魂的にはきちんと理由があるんですね。
その「内的な理由や動機」と、自分の外側に起こった現実的な面は分けて考える必要があるんです。
そして、この「分ける」ということをきちんとすると、いわゆる『失敗』が内的な体験においては、失敗ではない。ということに気付けるんですね。
内的体験において、「それは失敗ではない。」と知っていること。
このことを理解しているかどうかで、一般的に言う「失敗から学ぶ」ということができるかできないか?がわかれてしまうでのです。
あなたが、何かに取り組もうとするとき、いくつかの選択肢をあなたが選べる状況だとしたら・・・。
そのなかで、あなたは何を選び、行動に移すでしょうか?
覚えておいてほしいことは、どのような状況であったとしても、基本的に人間は
「その時点の自分にとって、最善だと思うことを選択している」
という事実です。結果がどうなるにせよ、その時点で自分にとっての最高の選択をしているのですから、自分自身”それ以上の選択”は、その時点では持っていないのです。
ベストを尽くしているから、それが”選択ミス”であるわけがないのです。
(ここまでが内的な部分)
しかしながら、努力が報われないことや、思うような結果が得られないこと、というのは人生の中でいくらでも起こります。アスリート全員が金メダルを取れるわけがないんです。(外の世界、現実とはそういうものですよね。)
何かの試験に受かる、落ちる、とか、気持ちを伝えて、理解してもらえる、または誤解されてしまう、とか。
思い切って告白して、OKがもらえる、または”お断り”されてしまう。とか・・・。
望む結果になるに越したことはないですが、そうではない結果だった時に、人は「失敗」というふうに自分の選択や行動を評価してしまうのです。
実際のところ、内的な自分に対する評価と、対外的な現実的な結果としての「他人が下した評価」は、別のものなのです。
『失敗』については、もう少し話しておきたいことがありますので、また次回、稿を改めて、続きを書きたいと思います。
それでは、また。