『失敗』についての考察 その2 スピリチュアルの歩き方#7 | 過去生ツインソウル・メソッド®︎&ツインソウル・ヒーリング®︎ Primaria☆Stone

過去生ツインソウル・メソッド®︎&ツインソウル・ヒーリング®︎ Primaria☆Stone

“魂のメッセージ”を読み解く過去生ツインソウル・メソッド®︎、“魂の絆”を深めていくツインソウル・ヒーリング®︎のナグ&プリマリア【Primaria☆Stone】

ナグです。

前回の記事から少し日にちが空いていますが、続きを書いていきたいと思います。

その前に、昨日はドイツでのデモをちょっと記事にしてみました。

”バシャール”によると、当初今年の8月にこの新型コロナ関連の騒ぎは収束するという計画が、私たち人類の選択が違ってきて、2021年3月ごろまで続く、という発信がありましたね。

動画ご覧になられた方も多いのではないでしょうか?

昨日は個人的には、「ツインソウル・ヒーリング®」初級を受講されたみなさんと、質問などにお答えする
オンラインミーティングを行っておりました。
テレワークやリモートなんとか、って言う感じのものが、新しい試みとして、今までできていたことに対する代替策として、取り入れられてきているように感じます。

 

さて、「失敗」についての考察 その2ということですが、前回の記事は、いつものごとく箇条書き。

 

「その時点の自分にとって、最善だと思うことを選択している」

内的な自分に対する評価と、対外的な現実的な結果としての「他人が下した評価」は別のもの

 

という2点をお話したところまで書いていました。

単に「失敗」と書くと、”望んでいた状態に到達しなかった”という意味になるのでしょうか?


感情的に似たような精神状態になる時というのを考えてみると、自分と他者を比較して、自分が劣っていると感じるときも、「失敗した。」と感じるときに心に現れてくる、敗北感や挫折感、または劣等感のようなものと似た感じがするのではないでしょうか?

 

厳密にいうと「失敗」ではないことなのかもしれないですが、他者と自分を比べて、劣等感にさいなまれてしまう時って、”自分の成し得たこと以上のものと比較している”ことに気付いている人がどれだけいるでしょうか?

 

その「自分以上のもの」が、目指している理想や目標だったりする場合は、今度はもう少し頑張ろう!とか、次はもっと近づきたい!とか、前向きなモチベーションにもつながると思うんですね。

ただ、「自分がやった結果」を評価するための材料として、持ってきてしまうのは間違いなんです。

目標や理想として設定するものと、自分の成果を評価するものは、「ものさし」が違うんです。

(何を測るにしても、”適切な道具”である必要があります。)


前回の記事の「内的な評価」と「対外的な評価の結果」は違う、ということの別の視点ですね。

前回の記事で「アスリートが全員金メダルを取ることはできない」ということを書いていますが、いろいろなところで励ましだったり、モチベーションを上げさせる言葉として、

 

”努力は必ず報われる”

 

とかってありますよね?

また、これはベートーベンの名言と言われていますが、

 


”努力した者が成功するとは限らない。

 しかし、成功した者は必ず努力している。”

 

という言葉もあります。

 

これ、「どちらも真実だなぁ。」と僕は思っているのですが、みなさまはいかがでしょうか?

今日は、「ものさし」の違い、ということをお話して、この「努力は必ず報われる」と「努力したものが成功するとは限らない・・・。」が両方とも真実であると、僕が思う理由を次回書いていきたいと思います。

それでは、また^^

 

ナグでした。