ナグです。
スピリチュアルなことに関心を持ってくると、いろいろな言葉に出会います。
例えば・・・
自分を大切にする
自分に向き合う
男性性と女性性を統合する
霊的に覚醒する
etc.
わかったような、わからないような、そういう言葉ってたくさんありますよね。
どういう自分に対する接し方が「大切にする」ということなのでしょう?
どのような心の姿勢でいることが、「向き合う」ということなのでしょう?
男性性と女性性の統合、『統合』って、なにをもってそう言うのでしょう?
『覚醒』って、いったいなんなんでしょうか?
僕は、よくこのブログだけではなく、日常の会話の中でも、「言葉の意味」というのを
よく確認します。
『今、○○って言ったよね?
僕はこういうふうに捉えたんだけど、それであってる?』
”言葉”そのものに意味がある。
わたしたちは、そのように錯覚してしまっているし、その錯覚はほとんど確信に近いものと
なってしまっているわけです。
ていねいに分けながら、見ていくことの大切さを説いている人は少ないし、
わたしたちが体験するいろいろな出来事があるなかで、「どういうことが起きたか?」という事実と
それにかかわる人たちが、それぞれにどういう思いを持っていて、その状況が生まれたのか?という
”感情的理由”は、別のものなんです。
”感情的”な要素や要因が、ほとんどの場合の人の行動を決めます。
でも、人は自分の”思考”のレベルで行動が決定されていると、勘違いしています。
そして、時には「行動」のレベルだけで、いろいろな物事を判断してしまっているのです。
自分自身が、何かの出来事に遭遇した時、
「自分がどう受け止めているのか?」と「何が起こったのか?」
が、無条件にリンクされて、一つのものになってしまう。
その”無条件のリンク”が起こってしまう、という私たちの心の自由を縛る鎖から解放されるためには、
『答え』よりも、『問い』を求めることが大切になっていくのです。
誰かの出した「答え」、それはそのまま他の人の役に立つものもたくさんあります。
一方で、自分自身が「問い」を持ち続け、それを通して”体験的に得ていく答え”というものは、
あなた自身にとっての確かな真実となって、あなたの人生の支えとなり、柱となっていくのです。