Primaria☆Stone ナグです。
何か自分の人生において、うまくいかない、と感じているときにひとつ、大切なことがあります。
それは“自分の考えを手放す”ということ。
これが、なかなか難しいんですね。
すぴこち(スピリチュアル・コーチング)のイントロダクション(導入)のお話の中でもお伝えしているのですが、自分の人生において体験することが、自分の満足のいくものでない、という状況が起こっているとき、
なぜか人は“自分のやり方”で、うまくいくようにしようとしてしまうものなのです。
車が故障したら、整備工場やディーラー、メーカー指定の工場へ持ち込みます。
テレビが故障したら、電気屋さんに修理に持ち込みます。
スマホの使い方がよくわからなかったり、なにか不具合があったら、契約している携帯電話のショップに言って、教えてもらったり、修理をお願いしたりします。
自分の体だって、体調が極端に悪くなったり、病気になったりしたら、お医者さんに診てもらいます。
でも、「気持ちの持ち方」や「人生の歩み方」については、
なぜか“自分でなんとかしよう”としてしまうのです。
僕たち/私たち人間を作ったのは誰なのでしょう?
それを知っている存在に教えてもらうのが、最善ですよね。
今までの自分のやり方、考え方、ものごとの捉え方が、『今の自分の体験』を作っているのにも関わらず、そのやり方、考え方、捉え方を手放そうとはしないのです。
『疑いを味方に付ける』
ということを僕はよく言いますが、
“もしかしたら、もっと違うやり方があるはすだ。
僕の(私の)今までのやり方や考え方、捉え方ではない、
僕の(私の)知らない、やったこともない、何かがあるに違いない。”
そんなふうに、いったん“自分の正しさ”を脇に置いておくことができたなら、新しい視点や、捉え方や
考え方に心を開くことができるのではないでしょうか?
人間関係のなかでは、日々いろいろな出来事が起こります。
そして、その起きた出来事を、自分側、相手側と分けて見ることって、あまり慣れていないので
この部分を意識することって少ないですよね。
喩えとしては、適切ではないかも知れないのですが、殺人罪と過失致死の違いのようなもので、
「殺そう」として、誰かを殺したのか?「殺すつもりはなかった」けれど、死んでしまったのか?
あなたが“傷ついた”と感じたとき、相手が“傷つけるつもり”であるなら、そこには悪意があります。
もし、あなたが不当ないわれのない悪意を向けられたなら、毅然として抵抗すべきです。
あなたが“傷ついた”と感じる。これは、あなたにとっての事実だし、あなたの体験だし、
そう思うことはなにも悪いことでも、間違いでもないんですね。
でも、相手が“傷つけようとしているわけではない”ということを理解し、なぜ、そのような表現や振る舞いや言い方になっているのか?がわからないままだと、相手の真意には到底たどり着けないでしょう。
自分の考え方、捉え方にこだわっているうちは、新しい考えや視点、捉え方を“使ってみる”ことって
とても難しい。新しいことを学んでも、いつのまにか“自分解釈”になってしまう。
求めるべきは“新しい体験”であって、新しい「技法(メソッド)」でも、新しい「知識」でもない。
新しい体験をするためには、今までとは違う考え方、捉え方を実際に使ってみること。
使ってみて初めて「新しい体験」ができるのだから。
~ 新しい視点へのエッセンス ~
自分の考えていること、感じていること、思っていることに
「・・・・と、考えている/感じている/思っている のは“私”」 と付け加えてみる。
追伸:アメンバー申請について
まず、「メッセージ」をください。メッセージのあとにアメンバー申請をしてください。
簡単な自己紹介など、添えてください。
アメンバー申請のみの場合は承認致しかねますので、よろしくお願い致します。