1月の後半から、「ホ・オポノポノ」に関連することを目にすることが多く、クリーニングを実践し続けている。
そのなかで「本を読もう」という思いが湧き上がってきた。
今までいろいろな本を読んできたけれど、再び『神の使者』、そして『奇跡のコース~テキスト~』を読み始めている。
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「神の使者」著:ゲイリー・R・レナード 版:河出書房新社
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160201/11/m-nagura-mr/50/b8/j/t01880269_0188026913555432927.jpg?caw=800)
「奇跡のコース」第一巻/テキスト
著:ヘレン・シャックマン
編:ウィリアム・セットフォード/ケネス・ワプニク
訳:大内 博
版:ナチュラルスピリット
そして・・・。
『奇跡のコース(A Course In Miracles)』のまえがきの中に、とても素敵な文章があった。
僕のブログに訪ねてくれる人のほとんどは、プリマリア☆のブログの読者、ツインソウルについてなにか有用な情報や知識を求めている人たちだと思うけれど、その人たちに贈りたい文章だと思う。
以下、抜粋です。
~奇跡のコース~ 第一巻/テキスト まえがき より
罪は“愛の欠如”として定義されます。愛だけが存在するが故に、罪は「聖霊」の目で見ると罰せられるべき悪であるというよりも、修正されるべき間違いです。私たちがもっている不十分という感覚、虚弱という感覚、不完全という感覚は、幻想の世界を支配する“不足の原理”にしっかりと投資していることが原因です。この観点からすると、私たちは自分に欠けていると感じるものを他者の中に求めます。自分のために何かを得るために他者を“愛します”。実際の話、夢の世界においてはそれが愛として通用します。これよりも大きな間違いはありません。というのは、愛は何も依頼することはできないからです。
マインドだけが一緒になることができます。そして、神が一緒にされたものを誰も別々にすることはできません。しかしながら、真の結合が可能であるということ、そして、結合が一度も失われたことはないというのは「キリストのマインド」のレベルにおいてだけです。“矮小な私”は外見、外的な所有物、外的な“愛”によって自らを高めようとします。「神」が創造された「自己」は何も必要としません。それは永遠に完璧であり、安全であり、愛されており愛に満ちています。それは得るよりも分かち合うことを求め、投影するよりも延長することを求めます。それには必要なものはなく豊かさをお互いに自覚しているところから他者と一緒になることを望みます。
~抜粋以上~
この部分は、「夢の世界での恋愛」(一般的な恋愛)と『聖霊による絆/聖なる関係』(ツインソウル)との違いを説明しています。
Ameba Ownd の方で、心について書いていきたい。と強く思う理由のひとつは、私たちの心を“不足の原理”から目覚めさせること以外に、『聖霊による絆』を確立する手立てはないから。
まず、あなたの心が“不足の病”から癒されること。
そして、その心から絆を結ぶこと。
これが本当に大切なのです。
※読んでみたい、と思われる方へ
余談ですが、かなり分厚い本です。
「神の使者」はハードカバーで500ページ超。
「奇跡のコース」に至っては、900ページ超。
(お値段も5500縁と、もはや本の値段ではない:笑)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160201/11/m-nagura-mr/0f/6a/j/t01850272_0185027213555438172.jpg?caw=800)
「神の使者」のほうは、新装版が出ていて、こちらは白い本です。
僕自身が「コース」に出会ったのは、レイキを実践されている方のブログからでした。
コースのテキストの内容ではなく、その方が紹介されていたのは『ワークブック』の方でしたし、当時は邦訳版がまだなく、ネット経由で“個人的に翻訳された方”(10年かけて訳されたとか)からpdfを購入するしか、方法がなかったです。
「神の使者」に関しては、その前に読んでいた『神との対話』の愛読者仲間のブログで紹介されていたからです。当時、かなり『神との対話』にハマっていたのですが、本屋さんで「神の使者」を見かけたとき、
「神との対話のマネ?!パクリ?!」
とか、思って手にしなかったことを思い出します。そんなところも隠れた傲慢さだな、と今では反省ですね。
僕にっては「座右の書」となる本たちです。