ということ。
それは
「自分は傷付く存在である」
と認めていることの証明。
今は亡きスチュワート・ワイルドはこう言った。
「どんなに立派な盾を構えていても、
その後ろにいるのは臆病者のキミなんだ。」
と。
自分の中に、
誰かに知られてはならない、
明らかにできない、何かがあるとき
人は自分を守るしかない。
自らの「真実」を、語ることなど出来なくなる。
究極の負けず嫌いは、勝負そのものをしない。
勝負そのものをしなければ、
そこに負けはないからだ。
しかし、その「負けず嫌い」は、
自ら勝利の栄光を捨てていることを知らない。
隠すものがないのであれば、
そして、すでに大いなる力に護られていると
知っているならば、
自らの手で盾を構える必要がないことを知る。
負けない、というのが無敵なのではない。
戦う必要がないことが「無敵」なんだ。
大いなるものの手に抱かれし者は、
傷付くこともなければ、戦うこともない。