2月9日のアヴァ労ライブについてなんとか思い出す | 笑うには近すぎる/怒るには遠い

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Matsuyama Nobuyukiの果てのある日々

 

 本来ならばアヴァ労の説明からしなければならないわけであるが、これがめんどくさい。もうかれこれ25年前の話である。どうせ長文読解できないだろうから、新種のヒップホッパーの独り言として聞き流していただく。

 

 あの頃というのは、阪神大震災がありーの、就職氷河期がありーので、もー音楽どころじゃなかったはずなのだが、なぜかそんなときに京都で果てしないセッションをやっていた。ライブハウスで人間ピラミッドをやったり、ラジオ体操をやったり。。。そのうち、アニメ粗製アイドル文化が資本誘導されてメインストリームに押し上げられ、六角精児似の小太りの集団が歓喜する中、なんか俺らズレてるよね、てな具合で、ますますいつもの電通博報堂、世間から取り残されていったわけであるが、スタートラインからもうすでにズレていたので、むしろ高潔なままでいられたというフシもある。

 

 アヴァンギャルドとは「前衛」ということで、フツーのポップス、フツーの生活、そういうものに股間や裸体を露出する、皆に好かれている人物の悪口を言う、不協和音、鼓膜のつぶれるような音を出す・・・などして盾突くことで耳目を集め金や名声をせしめるという、そういうしょーもない部分があるわけである。しかしそんなのは現在ではYOUTUBER、毛の生え揃っていないティーン、橋下徹、あやしげなネットカリスマなんかが率先してやっている。しかも我々は年寄りで、同世代間コミュニケーションに著しく特化した若い世代からシカトされるのは必然であった。第一、日本では、フツーがすでにエクストリームでおかしい時代が長くなりすぎた。そんな前衛が成立しないときに、嫁はん書類伝票などにいびられながら、いや~、前衛?あるよ(はあと)みたいな顔を惰性でしていただけなのである。

 

 ライブハウスでたまーに「アヴァ労の人ですよね?」とか聞かれることもあって、その度に「いや、まあ一応そうですけど、フぁフぁフぁ」という感じでやる気のないAV男優のような返しをするしかなかったのだが、他者を巻き込んで始めたことに責任は取らなくちゃいけないな、という、やくざなりのケジメ、みたいなものと、ここ数年向き合ってはいた(ほんまか)。とはいえ、セッションにも顔を出さない、飲みにも行かないこの俺である。首謀者が複数いて、はっきりしない、という組織でもあった。まぁ意図通りなんだけど。

 

 ドラマーの宮崎先輩から声がかかって、東京などからわざわざ京都にやってきて演奏してくれたメンバーもいる。それぞれの仕事が忙しい中、練習もろくにせず、俺なんかギターにすら触っていない。蓋を開けてみれば、今までで一番アヴァ労らしい音にしっとり仕上がっていたのである。本人たちが一番驚いている。結局のところ、AOP(アダルトオリエンテッドパンク)、それぞれ普段の生活をちゃんとやっていれば、できるものなのかもしれないな。

 

 機会があれば、試しに、聞いてみなさい。

 

 松山 展之

(アヴァ労、ずんだばあ、松山ベイブリッジ歌謡道場、クラブミュージックブラザーズ)