笑うには近すぎる/怒るには遠い

笑うには近すぎる/怒るには遠い

Matsuyama Nobuyukiの果てのある日々

㊙️このブログを書いている男が出るらいぶのお知らせ㊙️

アヴァ労
(ギターで参加)
注・たぶん即興演奏ですわ

2/9(金)
西院の和音堂
1500円+2 drink




私にとっては、神戸というのは西成あいりん地区同様、ファンタジーやリアリズムさえもしっかりと地に足をつけて飛び越えたトキワ荘のような夢の国であり、まぁ、稲垣足穂先生、筒井康隆先生や今東光大僧正、○△◇、パートのおばはんが立ち寄れる喫茶店、宝塚が好きだというのもあってか、行くたびに帰りたくないああ帰りたくない陰気な京都にYES WE CAN(死語)となり、次の日に仕事で早朝からええようにこき使われるにも関わらず、深酒をついしたりして、幾度となく帰れなくなって、しょんべん臭い安いホテルに泊まって成り行きでよくわからない小汚いけどおしゃれな親父と花札をして夜を明かしたり、バイトを減給されていたものだった。思えば、古くはポートピア80、女の子と南京町で死にかけ人形のゴム玩具を購入したりした頃からそれは始まっていたのかもしれないのだった。

 

カニコーセン氏から神戸でのトーク&ライブの依頼をいただき、内心不安でいっぱいだったのだが、あまりプランを立てず、出たとこ勝負でやりきる自信だけは大川隆法と景山民夫を足して風さやかで掛けたぐらいはあった。正味、へべれけになる一歩手前で何とかやっていたのである。大体自分で自分がしょーもなく思え、いつ客にどつかれんにゃろ、やだなー怖いなーと稲川淳二のようにラジオのように思っていると、案外、人は喜んでいるのである。そういう、よくわからにゃい大きな力が働いているのだ。

 

以下がそん時の演目図面である。

 

 

昼の部はカニ氏>MB、夜の部はMB>カニ氏という出順で、トークはよく覚えてないが、ちゃんと地球人にわかるようにまじめに話せていた気がします。カニ氏が僕に質問して、答えるという感じだったような気がしますわ。議題は陰謀論や地価と人権の相関関係に関することでした。もっとふざけたかったのだが、銭湯の脱衣場の手前で話しているということもあるし、あと、音楽の流れを殺しそうだったのでやめておいた。

 

カニコーセンの選曲はあまりコンセプチュアルなものではなく、簡潔であっさりしていたが、ちゃんと切ない味を行間からじわじわ出してくるもので、横で聞いていて結構勉強になるものがあった。そのフィーリングの多くは彼の鼻から抜ける発声の播州弁の響き、それを活かした楽曲からやってきているのであり、そういう意味では彼も大きい力に動かされているのかもしれないのだった。鳴門の渦潮のように。

 

お盆後半ということもあり帰郷した方と思しきお土産の差し入れもあり、岡山倉敷の藤戸饅頭をいただいたりした。とてもおいしかった。着いてすぐ食べたのは「たつ乃」のうどん。そして、昼の部と夜の部の間には、しまだ酒店の角打ちにカニ君に案内していただいた。白塗りのまんま入店して皆の日々の生活の話を聞いて赤星を飲んでいただけなのであるが、客層もアテもよく、とても充実したひと時であった。

 

於「たつ乃」二階。柔らかな日差しが心地よい

しまだの前で自撮り。カニコーセン氏と。

 

本番後、日の落ちた湊川公園を通って駅に向かいながら、奥崎謙三先生のことを思い出したりもした。

 

新開地駅地下道には、カーペンターズのクローストゥユーが流れていた。

 

帰りの阪急電車ではへそを出したイボイノシシに取り囲まれたりしたが、ええ具合に酔うていたので全然平気でした。

 

湊河湯のみなさん、そしてお客様、カニ君、どうもありがとうございました。

 

 

 

 本来ならばアヴァ労の説明からしなければならないわけであるが、これがめんどくさい。もうかれこれ25年前の話である。どうせ長文読解できないだろうから、新種のヒップホッパーの独り言として聞き流していただく。

 

 あの頃というのは、阪神大震災がありーの、就職氷河期がありーので、もー音楽どころじゃなかったはずなのだが、なぜかそんなときに京都で果てしないセッションをやっていた。ライブハウスで人間ピラミッドをやったり、ラジオ体操をやったり。。。そのうち、アニメ粗製アイドル文化が資本誘導されてメインストリームに押し上げられ、六角精児似の小太りの集団が歓喜する中、なんか俺らズレてるよね、てな具合で、ますますいつもの電通博報堂、世間から取り残されていったわけであるが、スタートラインからもうすでにズレていたので、むしろ高潔なままでいられたというフシもある。

 

 アヴァンギャルドとは「前衛」ということで、フツーのポップス、フツーの生活、そういうものに股間や裸体を露出する、皆に好かれている人物の悪口を言う、不協和音、鼓膜のつぶれるような音を出す・・・などして盾突くことで耳目を集め金や名声をせしめるという、そういうしょーもない部分があるわけである。しかしそんなのは現在ではYOUTUBER、毛の生え揃っていないティーン、橋下徹、あやしげなネットカリスマなんかが率先してやっている。しかも我々は年寄りで、同世代間コミュニケーションに著しく特化した若い世代からシカトされるのは必然であった。第一、日本では、フツーがすでにエクストリームでおかしい時代が長くなりすぎた。そんな前衛が成立しないときに、嫁はん書類伝票などにいびられながら、いや~、前衛?あるよ(はあと)みたいな顔を惰性でしていただけなのである。

 

 ライブハウスでたまーに「アヴァ労の人ですよね?」とか聞かれることもあって、その度に「いや、まあ一応そうですけど、フぁフぁフぁ」という感じでやる気のないAV男優のような返しをするしかなかったのだが、他者を巻き込んで始めたことに責任は取らなくちゃいけないな、という、やくざなりのケジメ、みたいなものと、ここ数年向き合ってはいた(ほんまか)。とはいえ、セッションにも顔を出さない、飲みにも行かないこの俺である。首謀者が複数いて、はっきりしない、という組織でもあった。まぁ意図通りなんだけど。

 

 ドラマーの宮崎先輩から声がかかって、東京などからわざわざ京都にやってきて演奏してくれたメンバーもいる。それぞれの仕事が忙しい中、練習もろくにせず、俺なんかギターにすら触っていない。蓋を開けてみれば、今までで一番アヴァ労らしい音にしっとり仕上がっていたのである。本人たちが一番驚いている。結局のところ、AOP(アダルトオリエンテッドパンク)、それぞれ普段の生活をちゃんとやっていれば、できるものなのかもしれないな。

 

 機会があれば、試しに、聞いてみなさい。

 

 松山 展之

(アヴァ労、ずんだばあ、松山ベイブリッジ歌謡道場、クラブミュージックブラザーズ)

 

 

 

 

 

 

 

 朝起きてハングリーじゃないほうのフリークス、ズゴック、ドム、コアラが跋扈するコニーアイランドこと京都を脱出して神戸に着くと、アッパー港町な賑わいを見せる夕方とはまた違った表情を見せる蠱惑的な商店街を抜け、会場の場所を確認、近くのうどん屋へとシケ込む。

 

 私はグルメレポーターではないので、大変ウマかったとしか書けないのであるが、しかし脇に目をやると神戸新聞が置いてあったりで、ええ具合にチューンアップされたシャコタン老女が集会をしていたりして(哀悼・真帆志ぶき)、ああ、いま私は神戸にいるのだ、という気分がしてくる。そのくらい本番前というのはボケている、ボケきっているのであった。

 

 会場に着くとセッティングが始まっていて、そんな中、ふわっと挨拶をしてくださる。人の顔をちゃんと覚えてないので少し恥ずかしい思いをしたりもするが、関係者各位、まあ、こういう奴やと軽く流してくだすった。

 

 夜ヒットを模したマイクリレーを経て、1番手はカニコーセン。

 

 以前にも書いたけれど、カニ氏はかつて関西では当たり前だった、中学生日記とお笑い漫画道場とつげ義春というような並列で取り扱うと、とうの昔に発狂してもおかしくないモトコー的多面性を持っている。そこをサラッと撫でて出してくる侠気があった。その分裂した仮面を今回はだれが現世につなぎとめていたのだろうか?あろうことかアニメ声の皇室である。あっと驚く間もなく木の葉を残して跡形もなく消え去る狸ぶりであった。

 

 2番手は俺(松山ベイブリッジ歌謡道場)。

 

 わたくしが今回意識していたのはひたすら中庸ということである。エッジを出さないエッジといいますか。昼の陽光に照らされながら舞っているといろいろなことを思い出しそうになるが、一生懸命忘れようとしていた。兵庫でザッパをかけるとテイストがかなり変わるのが面白いです。サーフミュージック的なね。

 

 3番手はこぶね。

 

 ハンドパンとかすれた音のエレキ増幅したドブロのデュオ。この組み合わせを思いついたのもすごいが、なんていうのかなあ、演奏しているときに立ってなんとなく前を見ている感じがなかなかいいんです。ほら、あのジャンルによくある、うつむいてないというか。自然に二部構成になっているのもなんともゆったりとしていた流れを感じさせていて良かった。こういうのって、デザイン力やね。

 

 4番手はほりゆうじ氏。

 

 青春ノイローゼ的楽曲を中年男性がまっすぐに歌うソロ。こんなケレンのない歌、演奏をあざとくなく響かせるなんて、芸達者としかいいようがない。人徳、声の力やね。会場の誰もがこの曲を聴いたことないのにああコレ、百年前からずっと聞いていた!と観念を通さずに感じたことであろう。余談だが、橋本治を読み返したくなった。

 

 フィナーレは「また逢う日まで」。なかにし礼は森田童子と同じくらいサイコーだ。俺はちょっとだけわけのわからないことを絶叫し、また流刑地京都へと戻るのであった。

 

 

 

 

 

 


(つづき)終演後、司会を担当した小西大樹くんらと話す。小西くんはシンガーソングライターでもある。


子供の頃より生まれ育った町がどんどん寂れていって、ということに向き合ったときの、あの、なんとも言えぬ悲しさ、という話題になり、でも私自身は、40才を越えてからその手の感情に揺さぶられることがなくなった。完全にネジが外れてしまったと。


夕方6時には会場から離れて皆がフラフラと飲み始める。結構な人数が一斉にに店に押し掛ければ迷惑がかかるので、いくつかのグループに勝手に別れる。すぐにダマになる淀む京都人とはえらい違いですよこれは(ルーキー新一)。


ふらっと入ったお店はお好み焼き屋で、なんかどれも美味しい。音楽の話はあまりせず、日々の話や町の話をできたのがなかなか楽しかったな。


再び公園で共演者らと合流。つい喉が渇いて誘惑に負けてビールを一気のみしてしまい、頭がフラフラする。いつもそうだが、神戸だと楽しいやら、早く帰らなあかんわで、シンデレラの如くせわしない。皆に別れを告げて、銭湯で化粧を落として帰る。


そして、亡霊のような町、京都へ。




神戸へ行く用事はというと、まあ、昔即興演奏やってたとき、三宮によく行ったぐらい?飲み歩く趣味も若い頃はなかったし、ただ、兵庫の人とはよく気が合うというか、何人か親しい人が昔から何故かいて。うん。節目節目で、すごく影響を喰らってる。


ライブの下見を口実に飲んだ時、カニコーセン氏は色々気を回してくだすって(回してないのかもしれないでもそこがイイ)、あれこれ話しながら商店街を呑みながら散策した。俺はビールが弱いのでバドワイザー。


次から次へと目の前の光景がぐるぐる変わって、ネギやニラ、串カツが整列し花が散乱、ドムドムもダイエーもおまっせと。あと二人ともどちらかというと普段のせ~かつ、パッとしない話をする。話をしながら思ったのは、この人はものを見る人だということ。ええ感じで壊れた防犯カメラみたいな。


もうどうでもええわ、と投げやりになっているときにでも、見る。とにかく見てしまう、というのが、なかなかできないことやと僕なんかは思う。


それにしても新開地、ボートピアからパチ屋立ち食いうどん、寿司に喫茶に串カツ刺身、粉もんホルモン、寄席もおまっせ!ちう感じで、中高年の男性にとっては極楽天国な環境で。これでよくもまぁ夜八時に閉めれるもんやいごっそうとか思う。ごてる人とかいそうなもんやけどな。意外といいひん。楠木正成像はどう思ってんのかね。知らんけど。


数日後、ライブ当日。


会場のコマヤさんはガラス張りのええ感じのお店で。

階段があって面白い構造になってる。

外で煙草を吸いながら観客や地域の住民とも話す。

神戸のお客は靴が洒落てる。


トップバッターは俺。


今回の選曲はなんか瞬間的に大分前に決まったやつで。

あまりいじくらずにシンプルに。ちょっと長かったかしら。でもええか、ちう感じ。場所柄、もっと笑かしてもよかったかな。いやそれやと他と被るから。とかね笑


二番手はカニコーセン。


新曲がどれもよくて、リバーズエッジなんかは、郊外で働いてた人間には心情写実の面でたまらんものがある。あと、何よりもステージングの上手さに感動した。後半マイクだけで歌いながら練り歩くんだけど、階段の降りかた動き方が実に堂々としてて。なんかパレードみたいに後ろについて来てる感じしたもんほんま。あと、フォークなんやけど、なんかわからんよーにヒップホップ感入ってきてるのが、なんともしたたか。すごいわ。ほんまええ勉強になりました。


三番手(トリ)はトラディショナルスピーチ。


モジュラーシンセにさまざまな加工された音が被さる。飛び交うというか、置くような感じ。笑い声のなかで聞くと随分印象が変わる。とはいえ、タメ、潰し、突き刺し、えぐるような攻めの姿勢はこのメンツのなかでも黒光りしていた。茄子みたいな。


(つづく)