どうでもよいことになります。
我が家には、
次女さんとのふたりの生活になってから購入した室内カメラが、
今も、
購入したときに設置した場所に鎮座しています。
以前も書いたかもしれませんが、
長女さんの容態が急変した際、
購入するか迷いましたが、
カメラ越しに、
長女さんの万が一の様子を観ることになったら、
で、
怖くて購入できなかったものです。
同居人のニャンさんとの生活が始まり、
久しぶりに室内カメラのアプリを開け、
ニャンさんを探して、
あちこちと方向を変えたときがあります。
そのときに、
自分の目の前に広がった光景は、
次女さんの終末期、
ベッドから落ちたであろう日の、
朝の様子です。
その後、
何回か室内カメラを開けていますが、
どうしても、
そういった光景が目の前に広がり、
頻繁に開けることはなくなっています。
てか、
殆ど開けない…かも…
何の為の室内カメラだ、
と、言われようが、
無理なものは無理…
滅多に開けることのない、
室内カメラのアプリを、
何日か前に開けています。
出勤する自分に聞こえるように、
コタツの中で鳴くニャンさんが、
どうしても気になった為です。
開けたのは休憩の時間だったかと思いますが、
たまたま、
トイレに入るタイミングの様子でした。
目で追っていた自分は、
あることに気がつきます。
以前、
よく鳴くニャンさん、
と書いていますが、
お腹が空いた、の他に、
トイレに入る、
トイレが終わった、
そんなときも鳴いてくれます。
が、
室内カメラ越しのニャンさんは、
トイレから出ても、
口は動かす様子はなく、
そのままコタツの中へ…
もしかすると、
鳴くのは、
ニャンさんと同じ空間に、
誰かしらがいるから?
見て欲しい、
気づいて欲しい、
わかって欲しい、
そんなこんなの鳴き?
そう思う自分がいます。
よく鳴いていたほうだと思われる、
次女さんの鳴き、とも違う、
とは、感じていましたが、
もしかすると…
と、想像し、
やるせない気持ちになり…
遺棄した人間は本当に許すことはできない、
と、
改めて感じてもいます。
とは言いつつ、
ミャーミャーの鳴き声に、
イラっとすることは、
恐らく、これからもあるだろう…
とは思いますが…
家に誰かしらがいるときは、
鳴きたいときは、
気がすむまで鳴いてもらおう、
と思う自分ではあります。
団地の生活でなくて本当によかった…
補足ですが、
室内カメラを滅多に開けない理由は、
もうひとつあります。
コタツ入りたい放題の生活を送って頂いていますが、
出入りする場所は、
室内カメラから遠いところ。
基本、
コタツの中で寛いでおられるかたですので、
開けたところで、姿はなく…
出入りする場所が遠い、
に、気付いたときは、
既に時遅し、でしたので…
同居人のニャンさんに助けて頂きつつ、
病んだ自分と向き合って過ごします。