たかっ…
電気代の明細を見たときに、
無意識に出てきた言葉です。
次女さんとの、
冬のふたりの生活のときよりも、
確実に料金が上がっている…
貧乏人は死ね、と、
クソ爺婆の国会議員は言いたいのかよ…
そんな心の毒舌を吐きつつも、
お高い電気代を払えば、
家で留守電してくれている子の命は繋がる、
そう考えれば、
お安いもんだよ、
人間が働いて、
電気代を稼げばいいだけの話し…
そう、
考えを切り替える自分もいます。
次女さんを失い、
できなくなったことの殆どが、
復活できていない、
を、
以前も書かせて頂いたと記憶していますが、
今朝、
駅迄の道を歩きながら、
早歩きしている自分に気がつきました。
家を出る時間は、
お預かりのニャンさんとの生活が始まってからは、
実質上は、
次女さんとの生活のときと、
ほぼ同じだろう、
とも、思っています。
だろう…
の、書き方になるのは、
時間を確認する為の、
TVの情報番組を観つつ、は、
今も無理、だから…
次女さんを失い、
それまでより、
3分早く出ていた時間が近づくと、
慌ててTVを消す自分がいる為です。
自分でも情けなくなりますが、
無理なものは無理…
それでも、
共に生活を送ってくれる子が存在してくれている、
家を出る時間が、
ひとりのときより遅くなるのは当たり前のこと、
そう、
自分に都合よく解釈させています。
何と叩かれようが、
自分に無理はさせない、
を貫きます。
残念なのは、
早歩きは、
復活できたこと、
の、ひとつではないことです。
ニャンさんとの生活が始まり、
復活できた、
で、
ひとりで喜んだのはひとつだけ…
帰宅の電車の乗換えのとき、です。
乗換えで降りた際の、
エスカレーターを早めのスピードで上がり、
乗換え先の電車が、
ホームに着く、
ホームに着いている、
の様子のときは、
駅員さんからは止められる、
駆け込み乗車、
を、やるようになった、
です。
お子さん達には、
恐ろしくて言えない、
出来なかったことのひとつでした。
それが復活した、
それだけでもよし、
と、思う、
他人には厳しく、
お子さん達と自分には甘い人間を続けます…
スミマセン、
やはり、どこがズレています…